杭州

2004/5/

西湖は南北2.8km、東西3km面積5.6平方キロメートル水深は平均1.5mから1.8m最深部で2.8mの浅い湖である。高さ38mの孤山という自然の島が1つと人工島が3つある。西湖は3方山に囲まれ一方が町である。呉の時代には西施のようにきれいだというので西施湖と呼ばれていた。中国全土に35ヶ所あるがここが一番有名である。

五月一日

白堤は1000年前白楽天が10万人を動員して作った1000mの堤防で団橋、錦帯橋がある。

飛行機の中で知り合った無錫の副社長。

西湖の中洲を渡る人の列

人、人、ひと。

西湖から望湖ホテルを望む。

朝、8時に僕の日本語学校があるヤオリン(人民路と詔山路の十字路付近を呼ぶ)でタクシーをひろい空港バスの出る民航大酒店に向かう。長沙駅のすぐ前、五一大路にある。

空模様がチョット気になるが、長沙の朝はいつもこんな感じだ。

朝から快晴、にはお目にかかったことがなかった。

バスの入口付近にはタクシーの呼び込みがうるさい、いつものことでもう、なれっこになった。「空港まで60元で行くよ!」と、叫んでいる。

一人16元だから、4人一緒ならタクシーでもいいが、こっちは一人だから割りが合わない。

20分にバスは出た。長沙黄花空港まで約30分ぐらいかかる?

これも、いつものことだがバスの中の音楽のバカでかいこと、中国人は皆、聴覚に異常があるわけでもあるまいに。こんな中で携帯で話している人の声は、もう叫びに近い、もっとも中国人にはひそひそという話し方は無用らしい。

不思議なことは、この状態でテレビが点いていることだ。画像だけしか見えないのに。

ついつい悪いことかもしれないが、すぐ中国では、と決め込んでしまいがちで注意しようと思うのだけど。

外は今にもスコールの来そうな空模様だ。

杭州行きの改札が始まった つもりだったが、二列のぼくの並んだ方はストップ状態である。

右側の違ったチケットをい持った人達がどんどん入って行く。

団体旅行なのか、ゴールデンウイークの初日だから仕方ないが、聞いているとあと一人がなかなか来ないらしい。

時計を見ると、離陸時間を過ぎようとしているのに。

又、「中国は・・・」と言いたくなる。結局、10分遅れて南方航空機は飛び立った。

杭州まで1時間の旅だ。運賃は800元。袁静さん〈半年間、鹿児島市役所に交換研修に来ていた美人)の話だと、普段は2~30%の割引があるらしいが、この時期は無いと言う。ホテルもそうなんだろうか?

なんと、30分位の時に食事が出た。お茶とクッキーではなくまともな吃的東西だ。

「地球の歩き方」をバッグから出して杭州の地図を眺めていると隣の男が地図を覗き込む。予約したホテル「望湖賓館」を捜したがなかなか見つからない。

字からして「西湖」の近くに違いないと思うが。

男の様子がチラチラから凝視状態に変わってきた。あきらかに何か話さないとおかしいような空気になってきた。

「あなたはこのホテルは何処にあるか知らないか?」

待ってましたとばかりに男はニッコリ笑って、今度は堂々と僕のマップに接近してきた。

こうして、彼と僕との会話は機が着陸するまで続いたのである。そして・・

空港バスでも、彼は先にバスに乗っていて、僕の席(窓側)を空けて待っていてくれた。当然、バスの中の30分も話が弾んだ。

中国語だけの会話だったにもかかわらず、ぼくの幼稚な語学力でこんなにも抵抗なく、意思の疎通がスムーズに行った事はなかった。

最後、彼は、杭州駅で降りたが、その時はもう朋友状態に近かった。

彼は、バスの車掌に、「あの日本人は望湖賓館に行くので、近くでバスを止めてあげてくれ。」と伝言してくれた。

ニコニコ笑って手を振ってくれた彼の笑顔が僕の杭州の印象を満点にした。

彼は父母の故郷がここ杭州で、自分は現在は無錫である会社の副社長だと言う。
「去年、行く予定だったが時間の関係で蘇州までしか行けなかった」とぼくが言うと、

「今度、無錫に来たら是非訪ねて来てくれ。」と言って名詞をくれた。

           ・・・・・・・・・・・

ホテルはまさに西湖の鼻の先にあった。

3年前、妻や娘と訪れた時、ゆっくり歩いてみたかった西湖の中道をゆっくり歩いた。

ゴールデンウイークの初日でのんびり、なんていうには程遠い もう殆ど行列状態だったけど、人々の顔や様子を眺めながら歩くのも楽しいものだ。

住んでいる長沙市の街の風景とは随分違うものだ。

肌に感じる日本との距離感がほとんどないのである。もし、突然皆が日本語を喋り始めても違和感がない気がする。

同じ中国でも、ここ杭州は華南とも、華北とも、どうかすると、すぐ近くの国際都市・上海より中国臭さ?が感じられないのは不思議である。(僕の個人的感覚だけど)・・・・・・・・

ただ、これはどの街に行っても感じるのだが、道路沿いの木の大きさ(年輪の)には感服する。

以前は、中国の樹というと湖畔の柳しか浮かばなかったが、今では、何処へ行っても巨木の幹の形の美しさと頭上に覆いかぶさる葉のボリュームに感嘆するばかりである。

「何百年前からこの樹はここにあるのだろうか?」と、いつも思う。

樹は中国の歴史を僕に語りかけてくれるのである。

ガイドブックや人の話でよく聞く《西令印社》に行ってみようと思った。

マップを頼りに小高い公園の中を上って行きやっと探し当てた《西令印社》は生憎、休みだったけど、別に印鑑が欲しいわけでもなかったので、残念とも思わなかった。

それより、そこの服務員が「今日は残念ですね。お休みですネ。」と、日本語で答えたのに驚いた。沢山の人の中に居て僕が日本人て分るのかなぁ。

さて、明日はいよいよ紹興に行く。まだホテルも決めていない。電話で予約する勇気がまだない。

こないだ一度トライしてみたが、相手のコトバがさっぱり聞き取れずにパニクッタので自信をなくしている。

そうだ、ホテルに相談してみる手がある。こちらの希望も言いやすいしそうしょう。交通機関は列車もあるが今度の旅はバスを利用しようと決めている。
 高速バスの乗り方だけはやっとマスターした。

行き先を言ってお金を出すだけ。と、言ってしまえばそれだけだが、「言うは易し、聞くは難し」なのである。

そんな、本や、電子辞典の例にあるようにはいかない。というより、実際は、あんなのは殆どやくに立たないと言っていい。

心配していた天気は快晴そのもので、日焼けしそうな陽気だった。

西湖に沈む夕日をひとり眺めながら杭州の一日は暮れていく。

前回来た時の街に出て、名物料理でも食べるのもよいのだけど、行動派の僕にしては珍しく、今日はそんな気にならなかったのである。窓から心ゆくまで西湖を満喫するのもいいものだ。

紹興のことを考えていた。

はじめての訪問である。キーワードは何だろう。まず、魯迅を訪れることにしょう。次は紹興酒に関する所か、寺は余りないようだ。一日バスツアーでも利用するのも一つの選択肢かもしれない・・・・・

ホテルで早い夕食を済ませて一人のんびりしていたら突然携帯電話が鳴った。

華天旅行社の小燕子かな?

小燕は5日に上海に一泊で遊びに行く、と言ってたけど、もしかしたら日程が変わったとかの電話かな?と思った。

「ケジさん。ワタシ 李黎 デス。ワタシ.イマ 杭州 キテマス ケジさん 今、ドコノ ホテル イマスカ?」

何と、上海のぼくのメルトモ李黎からの電話だったのである。

「ワタシ、百合大酒店 ニ トモダチト イショ キマシタ 」

実は一週間ぐらい前に電話で話しをしたときに、

「ゴールデンウイークは南昌の濾山行はやめて、杭州から寧波そして普陀山と旅行をしようと思っているけど・・・・・」

寧波から普陀山へはどうやっていくのか分からないので教えて欲しい、と訊いたら、なかなか電話で話が通じなかったのである。

「ワタシ イッショニ ツイテイキマス イイヨ。フネノル チョト ヒトリ ムズカシイカナ ケジサン ヒトリ  チョトシンパイ」  と言うので、

「李黎が暇なら、来てもらうと助かるけどな、」

と答えたけどまさかほんとうに来るとは思ってもいなかった。

五月のぼくの「ぶらり旅」のスタートは、なんと、メルトモ李黎との二人三脚となったのである。正確には李黎の親友との三人旅ということになった。

一気に、賑やかな旅が明日から始まることになったのである。

明日は紹興です。
 

李黎も西湖に友達・王小姐と散歩したという

杭州の参考HPは以下2002年分です。