【10月25日:一日目】
何度か上海は訪れた。というより、上海は中国への入口であり、出口でもある。だから、ほとんどの場合、といっても帰りの方が多いけど、必ず一泊はする。
ということは・・・・・、延泊でもしない限り、殆んどの場合、一泊しかしない。
ということは・・・・・・、毎回、行くところが決まってしまう。
豫園・外灘・上海博物館・雑技見学・南京東路をぶらぶら。この5つのコースが上海での定番である。 あとは、友諠商店かシルク工場の買物が加わる程度である。
僕の場合も、これに上海動物園と准海路に、足つぼマッサージが加わる程度だった。
僕は、いつも考えていた。
「そうだ、上海に中国の友人を作ればいいんだ。」「それも、出来れば、若い小姐がいい」 ・・・誰も知った人のいない街・上海で、腕を組んで歩く老若の二人を想像していた。
テレビドラマのシーンとダブっていた。・・・・・会話はすべて中国。・・・・
なんと、シーンは別としてシチュエーションは実現した。、6日間、毎日、、上海にいるのだから。
旅の一日目の夜、黄浦江の船の上からライトアップされた魅惑の夜景を満喫できたのは今回の旅のプロローグとしては上々のスタートといえた。
慎介クンとガイドの符さんと三人、帰りに中国茶を飲み、符さんとはそこで別れた。
前々から一度は乗ってみようと思っていた観光トンネルを通ってみることにした。
せいぜい15人程度の定員の透明カプセルは僕たちが乗るとすぐスタートした。
遊園地を走っているような、リフトに乗っているようなそんな感じだった。
周りの壁面がヒカリの操作で変わる、幻想的と言えば言えないことも無いが、日本やアメリカの大型テーマパークの似たようなものに乗った経験からするとまだまだ?かな・・
・・・・・・というのが実感であった。
料金は忘れてしまったけど5元(70円)ぐらいだったような気がする。
地下鉄の一区間(3駅ぐらい)が2元、市内区間で3元程度なのに較べると高い。もっとも市民の足とは目的が違うのだから較べる方がおかしいのだが、まぁ、一度,「乗ってみるか!」と言ったところだった。
南京路は初めて、という、慎介くんを案内して、ぶらぶら歩きをすることにした。
地下鉄ホームの広告
地鉄内部・上にバーは高い車内は綺麗だけど、時々・・・・が通る事がアル。
結局、今回
ぶらぶら歩きのコースとして南京東路・・ ・4回 以下。
准海路・・・・・ ・2回
新天地・・・・・ ・2回
地下鉄・・・・・ ・8回
徐家匯・・・・ ・・2回
魯迅公園近辺 1回
中土大廈付近街・4日
静安寺近辺街・・3日(公園・寺含む)
八万人体育館/・・4回
と言った具合。
まだ、おもちゃのような電車には乗ったことがないけど南京東路はおもしろい。
何が面白いって買い物や、夜景より人を眺めているのがおもしろい。ときどき人だかりがあったりするとすぐ、行って見るけど、たいていの場合つまらない。でもこの通りの僕のもうひとつの楽しみがある。それは、
若い客引き小姐のグループの活動の見物である。
彼女らの狙う通行(ほとんどが観光客、それも、日本人?風か西洋人)を見つけると、その執拗な誘惑にカモ?になった相手のリアクションを後ろからついて行き、観察すのは、ぶらぶら歩きの醍醐味といえる。
何年か前、自分もカモになりかけたことがある。あまり可愛い小姐(高校一年生ぐらい)だったので・・・・・・・チョット本気になりかけた。
一緒にいた松間 紘之和尚が・・・・
・・・・・・「危ないんじゃないの。僕らのような年寄りに、本気で ナンパするはずないじゃないの?」
と警戒の色、濃かった和尚だったけど、あまりに、可愛い子供たちだったので、和尚も少し本気になりかけた。
晩御飯ぐらいなら、「おごってあげてもいいか?」と、たどたどしい日本語を喋る女の子に
・・・・・「何食いたいのか?」と訊いたところ
・・・・・「美味しいところがアル」という。
・・・・・ 「だめだ、イトキンの5階の日本スキヤキをご馳走してやる」と言うと・・
・・・・・ {不行 不行????????」
モーニング娘たちの笑顔にやに下がった中年男。
結局、20分ぐらいやりとりをして別れたが。少し、悔いが残った。
その後、上海特集の旅行記事を見ると、ここでのギャル客引きは有名なことらしかった。
松間和尚と 南京路の話が出る度に、いつもこの話が出る。
つまり、・・・今いる少姐たちは、完全な客引きだ。でも、たのしい。両者のやりとりを看ていると、飽きない。とてもドライである。先日、小倉に商店街の仲間と研修で行き、夜、食事に行ったとき、飲食街にいた若い客引き女性と較べてみた。
日本ギャルは店の前に固まって声をかける。消極的というより、なにか暗い感じがする。一方、客として日本人を見ていても同じ感じがする。
日本人は大体が表情が固い。李黎が話していた。「日本人すぐわかります。ポケットに手を入れてる人多いです。帽子被っている人多いです。最近、カメラぶら下げてる人少なくなりました。けど、きょろきょろしてる人多いです、そういうグループ、必ず、日本人ね」
彼女らはグループ(7,8人)になったかと思うと、カモをみつけてパッと散る。又、集まる
そのうち、後をつけているが分ったのか、僕を見てウインクをした。
やがて、100メートルぐらい行くと、彼女らは反対側をUターンして行った。
人民広場前から西路になる。右側に上海第一百貨商店が六合路をはさんで二軒あるが
その前の道路が工事のため塞がれていた。2,3日後に李黎と歩いたら、右の第一百貨商店側に仮の階段が出来ていて、そこを上がると、大きい方の第一百貨商店にはいり、そこから南京西路へぬけられた。
僕らは足の向くまま左に折れ人の流れに沿って歩いていくと、そこは人民広場。
しょうがないから、ここで地下鉄に乗ってホテルへ帰ろう、ということになった。
上海の地下鉄(こちらでは地鉄 ディティェという。)は初体験である。
ガイドの符さんが
・・・・・・・、「地下鉄ハ乗ルノ トテモ簡単デス。 デモ 人民広場ノ ノリカエ チョツト ムズカシイネ・・・」、と言った人民広場站(ジャン)駅に行こうとしている。上海賓館のある静安寺站は地鉄2号線に乗って2つ目の站(駅)である。
階段を降りて地下に入り目指す2号線を探すのだが、けっこう大変だった。自信のないまま歩く歩く8分ぐらい歩いただろうか、地下道の8分は結構歩く。なんとか目指す2号線の改札口までついた。
来る前に中国の自動改札はまず行き先の金額のボタンを押してからコインを投入すると聞いていたが10元を出して、窓口で「ジンアンスー!リャンガァ!」と慎介に言わせてみた。何ごとも経験である。
慎介くんが2枚のカード切符を持って帰ってきた「通じたヨ・・」うれしそうである。
カードのことで言うと、何度も使うからか、このカード、ときに字が見えないほど印刷がすれてしまっているのがある。
帰ってから、何でも詳しい深栖会員に訊いて見たら、このカードを折ったり、紛失したりしたら多額の罰金を払わされるらしい。
そして、北京の地下鉄は何処まで行っても一律3元とのことだった。
従って、上手く作動せず通行バーがロックされたまま通れないことが数回あった。
その時はとなりで再チャレンジすることになる。
カードのせいではなく、改札の機械がおかしい箇所がけっこうある。あるとき、僕の前の男性が3回、カードが作動せずに場所を変わった。
僕は最初、彼のカードがおかしいのではと思い、作動しない改札口にカードを入れてみた。やはり、入らなかった。結局、彼とおなじ行動をとってしまった。
それを見ていた僕のあとの人は壊れた改札口は使わなかった。
日本の感覚で改札するともう1つミスすることはカードを入れると瞬間的に、30センチほど先にカードが飛び出してくる。
そのカードをすぐ抜かないと前のバーは開かない。
(日本は切符をいれ改札を通ってから出てきた切符を取る)
実はこういう私も、最初、失敗をした。カードを入れてそのまま歩いて回転バーを押したのだが動かない。2度、試みたが動かないので、売り場に行って「不行!」と言ったら、確かめて「・・・」OK,使える、と返してくれたので再挑戦してカードを抜いたら通れた。
近くに誰もいなかったのでよかったが、恥をかくところだった。
こういうのは年をとるほど不慣れになるので注意が必要。同じケースではホテルのカードキーの使い方と同じ。さっと入れて抜いてグリーンが出たらドアを開ける。これが、年をとるほどできなくなる。
その辺の呼吸は慣れないと戸惑うかもしれない。
人民広場駅から静安寺(ジンアンスー)駅まで地下鉄は南京西路の下を走る。次の駅である石門一路静安寺との間あたりに上海雑技のあるリッツカールトンホテルがある。
また、人民広場から地下鉄1号線に乗って一つ目の駅が黄陂南路で駅を出ると有名な准海中路に出る。
そこからしばらく歩くと今もっとも上海のホットエリア新天地である。
10月26日(日) 昼は烏鎮旅游
烏鎮から八万人上海体育館に戻ってきたのは5時が過ぎていた。
李黎の予定では、今夜はアタシが二人にご馳走をして、その後、新天地に僕らを連れて行きたいらしかった。
彼女の計画では初日に歓迎のお食事会をしたかったようでメールでその旨のことが来ていた。
中国語フォントのないところはカタカナもしくは充て漢字でごまか。しています
不知道慶二先生25日晩上准ベイ做什モ,我想清慶二先生和小林吃中国菜。26日早上我去上海賓館接ニメン比較保険,出発的時間我見了面在商量好マ?
祝:万事如意!! 李黎 10月21日
「湖南料理でイイデスカ?」「辛いんじゃないの?」
「ダイジョウブ ダイジョウブ」李黎もこの程度は日本語OKである。
体育館から僕たちはタクシーを拾って北へ向かう。どの辺なのか分らないが多分、僕の想像では華山路から静安寺を抜け月交(左,一字です)州路をまっすぐ北へ。
初めて食べる湖南料理はトテモ美味しかった。辛さも控えてもらったのか唐辛子さえ食べなければ重慶や成都で食べた四川料理のほうがもっと辛かった。
男女とも黒の制服で決めた給仕のユニフォームも決まっていた。
李黎のお姉さん・阿静(アジン)がよく利用するらしく、李黎は2回目だそうだ。
遠慮なくよばれることにしたが、気になったのでレジで覗いてみたら300元出して20元のお釣をもらっていた。彼女の給料からすると日本円の四千円は大金だったに違いない。