<フィールド1> 21世紀は心の時代(八期通信・編集後記)南洲陶芸・三反田 豊教室
この頃思うことジャンルを超えて、そのとき、そのときに思ったことを書き留めてみるページです。
賞味期限の切れぬうちに
●年をとると人は寛容になるのだろうか、それとも頑固になるのか・・・・
僕の場合は前者のような気がする。
カミさん曰く,「貴男のは、ただ無関心なだけじゃない・・」つまり、自分以外のことには、「他人ごと」と言いたいらしい。
寛容といえば、この頃、自分の許容範囲が随分と広がった気がする。
わかり易く、たとえを女性にとると、美人の幅がすっかり広がった。
つまり、簡単に言えば、若い女が皆美人に見える。あの頃は、顔が好みでないと全て×だったけど、今は違う。何故か、視線が垂直移動を繰り返すのだ。
今年も6月に中国の西域を旅してきた。例の極楽トリオにプラス1で・・・
鳴砂山で見た、砂漠に沈む夕日の美しさに息を呑んだけど、 それにも増して、可愛い小姐(シャウジョ)には、いつも見とれてしまう。
そんな小姐に、「ニ-・是・色狼(スーラン)」と言われ、正確に言うと,書かれ心を見透かされたかと、一瞬、ギクっとしたが、いい男の意味だと言われ、
ほっとした。帰ってから、中国語会話を教えてもらっている陳さん(若い女性)が言うには、「K、サン、アンタ、ナニシタノ、コノイミ、ジノトオリダヨ。」
咎めるような彼女の,結構、流暢な日本語に一瞬たじろいだ。
●話は変わるが、「そのうち」と思っているうちに過ぎてしまうのが賞味期限。定年を過ぎてからの賞味期限は一体どれぐらいだろうか。たかだか、十年~十五年というところだろうか。まずは、自分自身のために、次に、リラティブな他人のために、このおいしい時期を使いたい。
●粗い考え方かもしれないけど、期限後は、老けようと、病に倒れようと、その時は運命、宿命と諦める。「僕らには、老中はあっても、老後の楽しみはない」と言ったら、ひんしゅくを買うだろうか。
●個々のシテュエーションは違うけど、それぞれの、それぞれに合った時間割を作る時が来ている。苦手科目はあの世への宿題にして、今は、胸トキメク科目だけの時間割をすぐ作ろう!。同じ夕日を眺めるなら、四角いテレビの中よりも、視野イッパイの砂漠や、海原遥か、眼鏡なしで眺めたいもの。高校時代の四当五落の経験を生かす
ラストチャンスがきている。 残された時間(トキ)は短い。
・2001/8/31発行 「八期通信・編集後記」より・
21世紀は心の時代
この頃思うことジャンルを超えて、そのとき、そのときに思ったことを書き留めてみるページです。賞味期限の切れぬうちに二十一世紀は心の時代あなたは他人に夢を語った事がありますか?
夢と言っても寝床で見た本当の夢の事です。
以前は語ろうとしたらおぼろげで、語りだしたら支離滅裂・・・・・・・
ところが、最近は文章に出来るほどのなかなかの夢をみます。
二十一世紀は「心の時代」と言われています。
豊かさだけを求めてきた私達に欠けているもの・・・・
それは「知足」、つまり「これで充分」ということを見極める事でしょうか。
こころの時代のキーワードといえば、縁起・知足(ちそく)・他力・共生網の目は,他の目がなければ自分の目は無いし、自分の目が無ければ他人の目も無い」分かるようで分からない。そんな?
(はてな)胸に、悠久の都、シルクロードの起点である西安を訪ねた。玄奘和尚(西遊記の三蔵法師)ゆかりの大雁塔(645年)の最上階から、遥か西域を眺め、「こころの時代」の原点である大乗仏典の辿った道に思いをはせる事でした。
さてさて、文頭のなかなかの夢を披露するには、3Dの世界もはいるので時間と紙面が足りそうにありません。でも、語りたいほど、いい夢もあります関心のある方はいつでも、尋ねてください。「知足」つまり、
足たるを知るについての、私の夢物語をお話しましょう。
「過ぎ去りし想いで話」に花をさかせるのもいいけど、たまには、かっての文学青年にもどって、「こころと心のちがいはなにか?」とか、「波と水はどう違うのか?」「おいしいものを食べたい」のと「おいしくものを食べたい」のとの違いは?意見を戦わしてみては。中学時代に友人とトヨタのロゴで意見が分かれ、2人して、何時間も通り過ぎるトヨタのトラックやタクシーを眺めていた。
そんな 議論に熱中した時代が懐かしい。いまさら議論なんか、と賢人ぶらずこんな事こそ案外何よりの若返り策の一つになるかもしれません。
ともかく、これからは、「時との出会い」や「人との出会い」を大切に「一日暮」(その日暮らしではありません)を実践していきたいものです。
1999/8/10 八期通信 編集後記 おおいしけいじ。
南洲陶芸・三反田 豊教室
5年ぐらい陶芸 をしていました。
先生の三反田 豊氏は鹿児島では有名な陶芸家です。
紹介出来ませんが、師の作品は僕は大好きです。
南洲陶芸教室は高見馬場の電停の近くにありました。僕にとって今となっては懐かしい場所になってしまいました。
では、恥ずかしながら僕の作品を紹介します。
では、恥ずかしながら僕の作品を紹介します。
気 功
トップページのINDEXに趣味として気功を入れてしまったので取りあえず
何か書かなければならなくなった。
しかし、実際の所 何を書いていいか分からないのが本音です。
教室に通いだして半年が過ぎます。週一回で、2時間勉強?してます。
殆ど、僕の場合は寝転がっているだけです。怠けています。
鶴翔練功といって、六つの章から構成された体操・?だけは皆さんと一緒に、といっても、皆さんの振りを横目で追いながら真似してやってます。
先生がすう~ はくぅ~~・すゥ~・・・はクゥ~と模範指導しながら、教えられるのに習ってしてるだけです。
尤もそれすら、時々、合わずに 同じ行為を2度繰り返し呼吸困難におちいるのです。
なんでも、気功は呼吸法が大切だそうで、「小さく吸って大きく(長~く)吐く」のだそうです。
うちのO先生の場合は、複式呼吸法ではなく胸式呼吸法をとられています。
先生の言によれば、「お腹だと沢山、長く吐けないから」だそうです。
左端で背中を押して気を入れておられる方がO先生 受講生 約30名ほど。
3年以上のベテラン生がほ とんどです。大ベテランの師範格の受講生?がおられて他の受講生にいろいろ指図されます。何故か僕にもとても親切です。必ず一度は気を入れに来てくださいます。80何歳とか?気を入れるといっても「マッサージをしてもらってる」としか思えないのです。
「何処がして欲しいナ・ 悪いところはナカナ?」と言われるので、僕はいつも、右肩をつかんで、「そうですネ ここかナ」と言うと、「マットにねらんな・・」と言われしばらく、夢のマッサージが始まります。イヤ失礼!気を入れてもらいます。
「貰ってばっかりじゃいかんたっよ。他人にもドンドン入れてあげんナ」「ハイ、ハイ・・・」と聞きながら僕はもう既に夢心地。実際のところ 気功が何ものなのかまるで分かっていません。
中国の友人先生・陳曼曼小姐が授業の後で4,5分気のとり方体操を教えてくれた位で、「ほら、ほら気が来たよ」と両手を寄せたり離したりしながら言うけど「そうかナァ・・・・」そんな程度でした。
マァそれでも 訳のわからない何か(これこそ気カモシレナイ)に惹かれ入門と相成った次第。
そんな風なので、この右の副気功師にいつも叱られている。「どんどん、人に気を入れてやらんな」・・・と。
写真・副気功師に指導を受けてる女性
一緒に入門した知合いのI小姐(シャウジョ)彼女は最初体温(手足)の冷たい
先天性冷血症(そんなのあるの?)だったが熱心さの甲斐あって半年経たない間に気充満症(?)になってしまい、今はここに来るといつも、温泉顔になってしまう。副気功師のお気に入り弟子とあいなった。
インターネットで調べた気功について少し語ろう!と思う。
●気功とは?
{気功」とは「気」(生命エネルギー)によって,自己の免疫力、治癒力、や調整力を高めて、健康のレベルを上げ、「自養其生」(みずからその生命を養う)することを目指す健康法です。
●気功の歴史
紀元前202年~紀元後8年(前漢初期)に書かれた中国最古の医学書「皇帝内経」の中には「気」が病気といかに深いかかわりを持つか詳しく書かれています。このように2000年前に気功は、整理、体系化されて、広く人々の間で行われていました。
気功という名称は意外に新しく、1957年劉貴珍が「気功療法実践」と言う本の中で「気功」と言う名称を使ったのが初めです。
戦後、中国政府の「中西医合作」の方針の下で気功も体系化されましたが、文化大革命で旧来の物として気功術も批判弾圧をうけ一時衰退しました。
しかし文革の治まった後,法輪功騒動といった逆風はあったものの、整理、体系化された気功法が一般大衆に受け入れられて、再び隆盛をむかえています。
●気功の種類
気功は元来、医療気功(仏教、等の宗教気功を含む)としての「軟気功」と、武術気功として の「硬気功」とに大別されます。
健康を目的とした「軟気功」について述べると「内気功」と「外気功」とに分けられます。
「内気功」は自分で行う養生気功です。それに対して、内気功で養った気の力を外に出して、他人の為に気を与えるのが「外気功」です。
中国の病院では、内科、外科と並んで「気功科」があります。
気功法の種類は・・・
非常に多く、現在、中国で2000を超える流派があると言われています。
動功,静功,その他多くの方法がありますが、
その目的は基本的には同じで、身気を整え巡らせ、病気の原因となる滞りを除くことです。
気功は三つの要素から構成されています。
1.調心(リラックスした状態での精神集中:入静)
2.調息(呼吸を整える)
3.調身(姿勢を整える)我らが気功師O先生は何時も仰います。
「ハーイ リラックス リラックス・・・・・」「スゥ~~~~ぅ。」
「はクウ~~~~~~~ぅ。」
「吸う~~~~~~~~ぅ。」「吐く~~~~~~ゥ。も一つはくぅ~~~~~ぅ。」
(苦しいんです。息がもうないんですから、・・・・・・・・・)
気功教室の皆さんです。
気功の実践
●「気」を感じてみよう
両足を」肩幅の広さに広げ、ひざを少しゆるめて,立ちます。
1. 軽く肩を上下し、背骨を中心に体を揺らしながら力をぬいていきます。
2. 静止し、軽く目を閉じ、ゆったりと呼吸をします。
3. 両手指先を軽く触れるくらいに合わせます。
4. 両手をゆっくり、遠ざけたり、近づけたりします。
5. 4を続けると、だんだんと気を感じられるようになってきます。
つまり、両手を離すときに(ゴムがあるように)引っ張られる感じがあり、両手を近づける時には、ゴム風船が入っているような抵抗を感じれば成功です。
見えなくても、何かエネルギーがあるのを感じれば、それが「気」です。
次は「気」を回してみよう。
1.肩の力を抜いて両腕を前に出し、大きな輪を作ります。大きな風船を両手で抱えているイメージです。その時、両手の指先は3センチほど離します。
2.視線を指先から腕の内側に沿ってゆっくりと左のほうへ移動させます。指先~㊧手の平~左腕~左肩~胸~右肩~右腕~右手の平~指先と続け、3周回ったら、逆に回します。
3. 2を繰り返すと、腕の内側が温かくなり、「気」が移動していくのが感じられるようになります。
4.このようなやり方が「意念による気の導引」と言い、気功における気のコイトロールの基本的な方法です。
5.これが出来るようになったら、次に腕の外側で同じように視線(意識)を移動させて気を回してみましょう。
6.これを繰り返すと、腕や、肩の「気の滞り」が、解消され、コリが楽になります
教室風景
インターネット・ホームページより拝借。
・・・・・・気功を練習していて常々感じるのは、その習熟曲線が直線ではなく、階段状、それもかなり段差のある階段状だと言うことです。
気功を習って、まず最初に上がらなければならない階段は、動作を覚えることです。
これは、誰れでも比較的簡単に超えることが出来ます。
次の段階は,気感です。「気」を感じる感受性には個人差があり、遅い人は何ヶ月も掛かり、自信をなくしてやめてしまう人も多いのではないでしょか。しかし、これも辛抱強く練習しておれば、「ある日突然」気が体内を回るのを体感して感激するのです。
誰でも気感を持っています。練習により、それを啓発するのです。
この階段を上がった時の感激はその後のチャレンジの勇気を与えてくれるに足るものです。
早い人では一年、遅い人でも三年も真面目に練習すれば、「一通りの」功法をマスターすることが出来ます。
しかし、「これで気功を極めたぞ!」と思うたびに、気功の奥の深さを思い知らされるのです。
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気功を練習する上で、最も注意しなければならないのは、「焦り」です。
「周りの人は、もう出来るのに自分は・・・(ソウダ、ソウダ)」というのは、よく陥りやすい落とし穴です。
焦らないでリラックスして、前向きに練習すれば、必ず実を結びます。
何方かのホームページ「気功」から拝借しました。
丹田はヘソの下にあると意識せよ。
中国では丹は薬のこと。古代中国では不老不死の薬を求め、ある時は水銀が効果があるとされ、体の外の薬だから,外丹と呼んでいた。でもその服用で多くの者が死んだので、これはいけない、薬は体内に求めるべきだということになり、体内の薬・内丹の考えが生まれた。
気功はその内丹を強化する、ひとつの方法である。
田は田んぼと一緒、作る場所と言う意味だから、丹田は内丹(生命エネルギー)が作られ蓄えられる場所である。
・・・で丹田はどこにある??
へその下6センチから7センチ(おおよそ握りこぶし一つ分の下)の皮膚の下、野球ボール大の範囲にある。
生命エネルギーだから レントゲンなどには写らない、感覚として意識して欲しい。
ここに、丹田があると言う感覚をうる為には 気功には丹田呼吸法がある。息を短く吸って、吸う時の三倍ぐらいの時間をかけてゆっくりと吐く。
これを繰り返し10分以上続けると、へそ下の皮膚の下に熱い気球があるような感覚が生じてくる。その後、これが動き出し、へそと引き合うような感覚がする。
この呼吸方法のトレーニングをすることで生命エネルギーは増大する。
この呼吸法は大脳生理学でも自律神経のコントロールをスムーズにする効果があると認められつつある。、
練功の三原則3月11日3月18日大林気功教室第一クールの最終回(6ヶ月)が近づいてまいりました。
先生より総合まとめが皆にくばらられました。
★ 気を沢山あびること。気場に行くこと。(教室、森林浴、植物、山、川、海)・・・・・疲れがとれ治癒力が高まる。
★ 毎日 コツコツと気功法を練功すること(鶴翔庄功など)(調身 ・調息 ・調心)で・・・
★ 正しい呼吸法をすること(気功式呼吸をお勧めしたい)(細く、長が~~~く、やわらか~~~く、ゆっくり~~と吐く。)
★ 深呼吸をすること(毎日10回以上)もちろん気功式(吐く~~~)でしょうか?(早朝屋外で、雨あがり、空気の綺麗な所で朝・昼・晩)
★ しばし時間・仕事・生活を忘れてみること『瞑想15分間」瞑想はともかく、仕事・生活は忘れすぎています。
★ いつも心をリラックスして楽しくふるまうこと
★ 悪いこと、仕方のないこと、は早く忘れて楽しいことに前向きに物事を考えて生活すること
★ 意識『意念・イメージ)をハッキリさせ気をコントロールする。(吸う時はいい外気が体内に入ってくる、吐く時は悪い所を載せた気が遥か彼方へ消えていく・・・・・
★ 周囲の人へ無駄な気を使わないこと(気がなくなる)このコトバ一番気に入りました。
★ 多くの人と混じって気功をやるよう万難を排して努力すること。(気功教室や特別気功イベントに参加すること)
今日から以上の基本的なことを思いだして毎日努力練功してください
ここまでやればいいという限界はありません。
生涯かけて「気功は生命エネルギーの食事だ!!不可能はない!!」
・・・と思って毎日の生活の中に15分以上組み込んでください。
「健康第一」を願ってやみません。お別れにこの紙面に大自然の気を入れさ せて戴きました。いつか、再会の日を楽しみにしております。
ありがとうございました。
大林気功教室 大林麗照
健康十訓
健康は嬉しい美しい素晴らしい 何はなくてもやっぱり健康
1、小肉多采
お肉ほどほど野菜たっぷり健康モリモリ
2、小塩多酢
塩分摂りすぎ高血圧のもと酢は健康のもと
3、小糖多果
甘いものは果物から砂糖は肥満への直接切符
4、少食多噛
腹八分でよく噛みゃ幸もかみ締められる
5、少衣多浴
薄着で風呂好きの人は健康を身につけている人
6、少言多行
べらべら喋っている間に行動を開始せよ。
7、少欲多施
自分の欲望の為に走らずに他人の為に走れ
8、少憂多眠
くよくよしたって同じとっとと寝る
9、少車多歩
10、少憤多笑
怒ったときでもニコニコしていれば忘れてしまう。
4月8日(月)気功教室
8日の風景
2開校日は中国旅行中で欠席しました。今日が初日になります。
新しい生徒さん方が10名以上います。全体数は余り変わっていないようです。多分、入れ替わりでしょうか?
一番のピチピチギャルの顔が見えません。アイスハンド・ギャルは頑張っています。ますます、副気功師(小磯さんとか?)のお気に入り娘です。
今日は大林先生のマジック・ショーがありました。
あいにく、カメラに収め忘れました。次回,写して見ます。あればの話。
詳しい説明はその時に。
ところで、1のとき、気になっていた複式呼吸と気功式呼吸について今日先生から説明があったので書いてみる。
8日の風景r腹式は吸う時に腹をふくらませ、吐く時、腹をへこませる。
・・・・・
これは問題ないのですが、気功式というのが、どうも、分からなかったのです。胸式呼吸のことではないか?と、思っていました。先生が言われるには、気功式は吸う時に腹をひっこめる。そして、吐く時に腹をふくらませる。
僕はやっと、なんとなく分りました。正しいかどうか?は分りませんが・・・・
まず、気功の場合呼吸は絶対に口でする。これを無視してたんですネ。
胸式呼吸は吸う時に鼻でします。(口で出来ないことはないが)口でしようとすれば、どうしても、お腹が中心になります。何回か繰り返すうちに、やはり、気功式の呼吸法と胸式の呼吸法は別であるということがやっと分ったのです。
これは今日の最大の収穫でした。大林先生のちょっとしたひとことがヒントだったのです。それは、「腹をひっこめながら息を吸い込むときは肺にも同時にはいりますものネ」だから「いっぱい入り」「いっぱいはいる分だけ、ゆっくり、いっぱい出せるんですネ」・・
7月22日(月)久し振りの気功訪問です。
別にさぼっていたわけではなく 教室の方は真面目に通っています。ただ、特別、掲載するような出来事もなく、平凡な教室通いです。写真でも2,3枚紹介します。
8月の教室風景
九月9日(月)
気功教室総合まとめ 最終回
★ 気を沢山あびること。気場に行くこと。(教室、森林浴、植物、山、川、海など)疲れが取れて、治癒力が高まる。
★ 毎日毎日 コツコツと気功法を練功すること。(鶴翔庄功など)(調身・調息・調心で・・・・・・・)
★ 正しい呼吸法をすること(気功式呼吸をおすすめしたい。)(細く、長~く、柔らかく、ゆっくりと吐く)
★ 深呼吸をすること(毎日10回以上)(早朝屋外で、雨あがり、空気の綺麗なところで、朝、昼、晩)
★ しばし時間・仕事・生活を忘れてみること、(瞑想15分)
★ いつも心をリラックスして楽しくふるまうこと
★ 悪いこと、仕方の無いことは早く忘れて楽しいことに前向きに物事を考えて生活すること
★ 意識(意念・イメージ)をはっきりさせ気をコントロールする。吸う時はいい外気が体内に入ってくる。吐く時は悪い所を乗せた気がはるか彼方へ消えていく。
★ 周囲の人に無駄な気を使わないこと。(気が無くなる)
以上で、第二クール(1年間)の大林気功教室体験終了しました。10月より、2年目に入ります。
真剣さが足りないのか、未だ何が何か分っていません。鶴翔練功も一向に覚えません。
今度、中国にいつたら、あちらの気功(法輪功ではない)を良く勉強してみようと思っています。混沌からの出発・道教に学ぶ人間学福永光司古事記の冒頭に現れる「気の哲学」118頁より引用。
道は一を生じ 、 ( 一元気)
一は二を生じ、 (陰陽二気)
二は三を生じ、 (和気)
三は万物を生ず。
これは「老子」の中の言葉です。
{一」は一体になったもの、カオス状態のものを意味し、これが「元気」です。すべてのものの生命の根源と言う意味です。それが正常な状態であることを私たちは「元気」と言っています
その「元気」から男性原理の「陽の気」と女性原理の「陰の気」の二つが分かれます。
これが「陰陽二気」で、次に陰陽二気が交わって陰気でも陽気でもなく陽気でも陰気でもある第三の「和気」を生じます。この「三」つまり和気から万物が生じるということです。
これが老荘思想、そして道教の万物生成の根本的な考え方です。
儒教や仏教はすべての現象を形而上の「理」でとらえ、説明します。ですから儒教仏教を「理の哲学」ということができます。
これに対して道教は「気の哲学」といえるでしょう。宇宙空間を満たしている大気の流れと人間の営みである呼吸、気息を同じものととらえ、この気の流れによってすべての現象を説明するものです。
・・・・・実は何故、上の文章を引用したかというと、「気」とは何かが??がわからないので、自分なりに「気」を捉えてみたく、「気」という文字の入った文章を、片っ端から、理解しようと思ったからに過ぎません。無為自然を極める道・・・・福永・・・・189頁
・・・・・・天地自然はすべて命をもった存在である。・・・雲の流れや風のそよぎ、木の枝の芽吹きや草花が咲き、しおれていく様子に、このように感じられる人は多いと思います。・・・・・・・・・・・・
・・・・・これら命あるものは私たちには現象として映ります。その現象を生み出しているもの、それが「気」です。
人間世界も天地自然も包含して大宇宙を流れる気のめぐり。
大宇宙を巡る「気」の流れが命の根源であり「道」です。気を感得し、体得するには、道をしらなければなりません。