厦門・客家

Xia men アモイ

9月17,18日

土楼・客家      コロンス島

9月16日(土)am9:05

しばらく雑談が続く、移動の度に同じようなことを書いているような気がする。

タイトルが「ぶらり旅」なので写真を見ながら一緒に旅の疑似体験をしてもらえれえばとそんな気持ちで書いている。

それにしても中国の航空事情はこまったものである。地方ならともかく北京空港や上海浦東空港は世界でも有数の空港のはずである。1時間も遅れて飛び立つのが当たり前では「おいおいどうなってるの?」と言いたくもなる。まさか国際便はそんなことはないと思うが。

到着便が遅れるから出発が遅れる、ということは,定刻に出たくても飛行機が着いていないということなのか、さもなくば機内の清掃,、機体の点検、整備がのんびりしているかのどちら以外に考えられない。

12時05分発のアモイ行きに乗る予定で少し早いと思ったけど9時半には,ホテルを出発。

「スムーズにいけば40分で着きます。」という服務員の言葉を信じると10時10分に空港到着の予定である。

少しぐらいの渋滞なら大丈夫、と思うような時に限って早く着いてしまう皮肉さ、10時には空港に着いてしまった。

中に入って電光掲示板の時刻表を見みるとアモイ行きは、

「なんと!!」

12:40にすでに訂正されている。35分遅れの出発ということはここで2時間半時間をつぶすことになる。

「参った、参った」

新しくなって初めての北京空港をブラブラすることにした。

まずは搭乗手続きをしてスーツケースを預け、身軽になっておみやげでも買うことにしよう。

さて、ここでちょっと余談だ、

ひとりで搭乗手続きをする時のお話をひとつ。

チケットを差し出して搭乗票(券)を受け取る時、服務員から受ける質問は大体、2つぐらいしかない。なかでも一番分かりにくいのを覚えておこう。

「靠窗的位置 或者 靠走道的位置?」あるいは「窗戸的座位、通道的?

読み方はカオ チュアン ダ ウェィズ フジャ (又はハィシィ)カオ ズォダォ ダ ウェィズ

日本語の意味は:「席は窓側にしますか?それとも通路側にしますか?」 と訊いている。

こたえは3つある。まず、①窓側(チュアーンフ chuang)か、②通道(トンダォ)かもうひとつが③「どちらでもいいです」になる。でも、③はまだ言ったことはない。

想像だが「ウ ソゥ ウェイ」日本語訳:どちらでもいいよ。か、もしくは「隋便 スイビェン」日本語訳:おまかせです。が頭に浮かんでくる。だけど、こういう場合に使っていいのかどうかよくわからない。

現地滞在の日本人の皆さんは良くご存知かもしれないのでぼくが知ったかぶって言うと恥をかきそうなのでやめておく。

「窓側はないけどどうしますか?」なんて聞き返しがきたらお手上げである。次のコトバは伝家の宝刀「ティンブトン」しか持ち合わせない。

もうひとつぐらい服務員が言うとすれば、荷物を預けるときに引き換え用のシール券をチケットに貼りつけながら言う

「この券を紛失しないように気をつけてください。」ぐらいである。

(読み方はjャ ジャン ジー  チン ビエ ディゥラ)

おそらく、マニュアル化された言葉だろうから強いて返事を待っているわけではないので、そんな時には、軽くうなずいておけばいいだろう。

なまじ伝家の宝刀「ティンブトン」などいうと、ややっこしいことになりかねないので気をつけよう。

横道にそれたついでに機内サービスのときのぼくの経験談を2つ、3つ書いてみる。

飲物でいえばコーラを注文したとき、何か聞いてくることがある、それは「氷を入れますか?」と言ってることが多い。そのときは日本語のハイか英語のイエスでこと足りる。もっと簡単なのはここでもうなづくだけでいい。

次に食事が回ってくるが、ほとんどの場合聞いてくるのは

「鶏肉にしますか、それとも魚にしますか」である。

このときはすかさず日本語で『次郎』(ji rou)といえば鶏肉ランチをくれる。

自信がないのか日本人はつい口の中でもごもご言う人が多いがはっきり言うことが肝心。

断っておくが大声で言いなさいといってるのではないのでくれぐれも気をつけよう。

問題は鳥肉が嫌いな場合である。魚という中国語の発音はとても難しい。

だから、どうしても答えなければならない場合は『次郎ブハオ』つまり、日本語訳は「わたしは鶏肉は苦手です。」(不好ブハオとはハンユィでは嫌いの意味ですから)というしかない。

しかし、心配いらない。(不胆心!ブ ダンシンといいます。)

英語がある。Fishフィッシュなら日本人なら誰でも言える。中国人もだれでも知っている共通語である。

だから「次郎」も「チキン」でOKなのだ。でも、せっかくだから使ってみよう中国語。

さて、おみやげの話にもどる。

北京空港で買わなければならない礼物(みやげもの)ものがあった。

上山氏の話では、今夜、どなたか彼の学校関係の方がたと会食会が予定されているらしい。

「意見交換会でもしましょう。」という話らしい。あまり窮屈な交流会は苦手ですと、上山氏には伝えておいたが一席設けてもらうときは何か手土産を差上げるのは「中国の常識」なのだ。

また明日は上山氏の懇意にしている事業家の方が運転手付きの乗用車を提供してくれるらしい、そのクルマで一日、土楼・客家(ハッカ)の住居を見学することになっている。

タイトル下の写真を拡大してみて頂くといい。『地球の歩き方』にも、まだ紹介ページがないが今回、アモイに行く目的のひとつが『客家』見学なのだ。客家についてはあとで説明するが、そういうわけで何人かに「礼物」はかかせない。しかし、日本からの手持ちは何も無いのである。北京空港売店でしかチャンスはない。

この際だから日本の友人や家族たちにも「ちょっとしたもの」を買わなければならない、「そのちょっとしたもの」にぼくはいつも悩まされるのである。

中国もたびたび来るとみやげ店などはのぞかなくなるものだ。

間違っても「友誼商店」などでは絶対買わない。

雲南地方や新疆などに行くと、それでも、安い少数民族の手作り品がまとめ買い出来て便利だけど都会地を廻っているとそれがない。ときどき老街などに出くわすが骨董とは名ばかりで大量生産の最近物骨董品がほとんどである。

たべもの、特に海鮮ものはいちばん困る、匂いがするからである。お茶類が無難だけど、貰っても飲まない人が多い。印鑑もいちどあげればそう何個もいらないだろう。

結局、ぼくはその土地のマークが入ったTシャツかトレーナーまたは帽子ということにしている。毎回、1~2枚はCDも買う。どうしても、買えなかった時は帰りにかならず寄る上海で夕方からでも『豫園』までクルマを飛ばすことにしている。

去年もそうだったが、今、北京オリンピックの公式グッズがいい。すこし高いけど品質がいいし、なにより記念品としてはレアものである。小物から衣類(Tシャツ、トレーナー、パーカー、キャップ)まで専用の売場が街中や空港に設けてある。北京空港はご当地の割には品揃えが少ない印象がした。

昨年、青島市では一軒,いい専用店があり息子と婿にTシャツを買った。きのう王府井のデパートにでも行けばあったのだろうけど、みやげのことなど思いもつかなかった。

指定された搭乗口25Hである。航空会社別なのか、行き先別なのかわからないが階段を降りたところにあった。現在時刻は12:25分である。あと、20分でやっと乗れるか。じつはもう20分も前からイスに座って改札を待っていた。

勿論、左右のアモイ行きのぼくと同じチケットを持ってる客に「アモイ行はここですね」、と確認していた。確認はかならず若い小姐にすることにしている。なぜなら彼女らはまず外国人には親切だからだ。というより、年配者にやさしいという方が正しいのかな。

と横の小姐が何やら指差して立ち上がった。ぼくはすぐに感に来た。100%間違いない、それは搭乗(中国では登机口)口の変更なのだ。25Hが25Aに変わったのである。25Aはすぐ隣で助かった。なにしろ登机口変更は中国ではめずらしいことではない。

空港待合室での鉄則、それは○行き先の同じ中国人乗客の何名かをいつもマークしておくかなければならないこと。それも複数でないと、一人だと目的がわからない場合もあるので。

いつのことだったか、同じ机票をもっている小姐が慌ててカバンを持って立ち上がりきょろきょろしながら歩き出したのでこちらも慌ててついて行ったらトイレだったことがあった。

今は小姐がいたら訊くことにしているから心配いらない。それでも、日本だと「改札口が変わりました」と言ってくれるが、こちらではだまって行動する人が多いので気をつけよう。その辺の微妙なところは気にしないこと。親切さの温度差を理解するのはむずかしい。

さて、本当に疲れるぐらいいろいろあって今1時20分である。

やっと、B767中国国際航空機は北京空港を飛び立った。最初の出発予定時刻が0時5分だったから1時間15分のディレィ(遅れ)ということになる。

4時にアモイに到着します。と機内アナウンスがあった。およそ2時間半のフライトということになる。

当初の予定だと2時半ごろアモイに着くので半日はアモイ観光が出来る計算でいた。あわよくばコロンス島も今日のうちに行けるかも知れない。ともくろんでいた。そんな予定が反古になったのである。やはりというべきか、中国旅行の場合、計画をつくるときに○日は「空港&移動」日と明記しておくべきかもしれない。

上山さんには飛び立つ前に電話をしておいた。そろそろ空港に行こうかと思っているところだったらしい事情を伝えると「かならず遅れるよ」と彼は平気で言ってた。

ということは彼は遅れを想定して行動しているのだろうか。

彼は電話口で

「4時なら4時半に出られればいいですけどね。本人は着いてるのに荷物が出てこないこと、多いんです。だから、急ぐ人は絶対、預けませんよ。」と。

今、夜9時、上山さんが日本語教師をしている『新干銭外語』という日本語学校の職員室?

でこの文を書いている。

上山先生の授業は9時30分に終る。

写真左は学院のビル、三階にある。中、右は院内のスナップ

時計の針を5時間、後戻りしてみる。

航行時間も、降りてからの荷物の到着も、意外なほど正確、スピーディで、4時過ぎにはキリンになった上山さんと再会した。明日、僕らを客家に案内してくれる鄧(とう)小林運転手(20代)と二人で迎えてくれた。(写真右は翌日の客家の前で左鄭くん。右、上山氏)

鄧(とう)くんの運転するクルマは市街地を抜けず、わざわざ?アモイ島の海岸道路「環島路」(HUAN DAO RD)を走る。

海風が車のなかを吹き抜ける。

なつかしい潮の匂いが残り香のようにぼくの体にまとわる。

広々とした4車線のハイウエーの左右のフェニックス並木の先に、真っ青な海がいっぱいに広がる。

一ツ葉ハイウエー(宮崎)をドライブしているような錯覚を覚えながら、ぼくの『アモイ』の旅は始まった。(市街地までの時間はおおよそ30分)

アモイは正式には『厦門』と書いて中国人の間ではシャーメンと呼ばれる。

アモイと言う読みは「ミン南語」での言い方である。アモイのある福建省の略称は『ビン』である。漢字は門構えに中に虫の字を入れる。

司馬遼太郎のシリーズ「街道をゆく」に『中国・ビンのみち』という作品があるので読んだ人も多いと思う。

中国本土とは二つの橋、海ソウ大橋と厦門大橋とで繋がれ、面積132k㎡のほぼ円形をした島である。車中、上山さんが言っていた。

「アモイはどんな凶悪犯罪もこの二ヶ所を塞げば犯人は必ず捕まります」と。

3日間のぼくの宿泊は上山さんの住むマンション(20階)の9階の部屋(1DK)である。ちなみに氏は7階、家具備え付けで1泊100元少々という安さである。ほとんど3星以上のホテルと変わらない。

10畳ぐらいのリビングにはソファ,電話,冷蔵庫、テレビ、電子レンジが備わっている。

テーブルの上には茶器セットもある、もちろん電子ポット付だ。

冷蔵庫の中には水、ビール(5元)、ジュース類からインスタント食品などが近くのコンビニと同じ料金である。

大きなベランダには洗濯機も付いていて、洗面所のハブラシセット、タオル、バスタオルなどすべて毎日、新しいのと取替えに来てくれる。

もちろん、ベッドメーキングも専属の小姐たちが来てしてくれ、キッチンには入らなかったけど4畳半ぐらいの広さに近代的なオープンキッチンセット付である。

快適かつ安全なマンション団地で1日で100元チョットといえば言うことナシである。

近辺のホテルは1泊5~600元というから上山さんの住むアモイは居心地のいい中国といえる。

上山先生の今日の授業は9時30分に終るらしい。

先ほど9時に書いていると言ったが、実は今、『新干銭外語』学院の校長杜峰(du feng)さんと二人で会食して帰ったところである。

ぼくがかたくるしい晩餐会は出来たら遠慮したい、と言ったので上山氏が気を利かせてくれたらしい。謝謝!

およそ2時間近く、日本料理の店で海の幸や寿司を食べながら日中間の教育制度や学生気質その他、日中の事情などを語り合った。

杜峰校長の夢や今後の交流の可能性についても1対1の会話ならではの内容の濃いものだった。

「今年で35歳になりました。」と杜峰校長はいう。

7年前、28歳のとき学校を創ったのだそうだ。話が弾み青島ビールを二人で6本も飲んでしまった。よく考えてみれば今日は朝からこれといった食事をしていなかったのだ。

アモイの目抜き通り厦禾路(シャファロ)の金山大厦というビルの3階に杜 峰校長の日本語学校『新干銭外語』はある。日本人教師が7~8名いる。

日本語教師希望者の為、正式名称とアドレスを書く。

  SKS『新干銭語言培訓中心』   杜峰 校長
  厦門市厦禾路862号金山大厦3B  電話 0592-5882208 郵361004
  E-mail: skscenter@163.com    https://www.sksjp.com

学校は昼働く人のためのここ金山大厦校と、もう一ヶ所、海岸線を走る環島路」(HUAN DAO RD)に全寮制の全日制の学校がある。

ここ金山校は実践型の学校のため、自分の勤務時間、レベルに合わせて昼、夜の講座を選択する。生徒はとても熱心な成人男女で職場の関係で欠席せざるを得ない学生も多いらしいと上山先生は言ってた。休日にマンションで補習授業を希望する生徒もいるらしい。

さて、アモイの夜はトロピカルナイトである。どういう夜かというといつまでも店が開いていて人通りが絶えない。

というと大人の歓楽街を想像するかも知れないが、そういう店もあるにはあるが庶民レベルの店と普通の市民が夜おそくまで遊んでいるといった感じである。

実際、ぼくも2日間、足ツボ通いをしてマンション帰りはいつも夜中の2時ごろだった。

でも人通りも多く、食堂には結構な数の客がいた。

そんな訳で翌日の朝の出発を遅めの9時にして、永定県の洪坑村の土楼民族文化村(200年4月ユネスコの世界遺産への申請が受理された)を目指すことにした。

客家と書いてハッカと呼ぶけどこちら中国人はカージャという。あの奇妙な大きい丸い集合住宅を客家と言うのではなく、客家とはそこに住む人々、人種?のことをいう。あの建造物のことは土楼(ツロウ)と呼ぶのが正しい。

「客家」(ハッカ)はもともと黄河流域に住んでいた漢民族が戦争等を避け安住の地を求め南方に移住して来た人たちである。

移ってきた人たちは未開の丘陵地を開墾し住み着くようになった。

かれらは既に周辺に住んでいた人たちからはよその人という意味合いを込め「客家」と呼ばれるようになった。ちなみに客に対することば「主」だろうから土楼に住む福建の人々だけを客家というのではないのかもしれない。

すでに1000年の歳月を経過したということは宋の時代、当時の中国では、その土地によそから転入してきた人々のことをそう呼んだのだろう。

現在、客家の人たちは世界中に偏在している。孫文や鄧小平など有名人や経済界で活躍する華僑も客家出身者が多い。

写真は:左,鄧小林君運転にクルマ。右2枚は全体図とドライブマップです。

正直なところ、いまから行く土楼がどの辺にあるのか、本に載っている世界遺産・永定文化村を目指しているのか、それともあと2箇所ある方に行くのかよくわからなかった。

ただ、あの丸い巨大バームクーヘンを目にすればいいと思っていた。

帰ってきて小学館の週間『悠遊紀行』のグラビアをみてはじめて、訪れた土楼の数々が「客家土楼王国」とよばれている場所で、その中でも「土楼王子」とよばれる振成楼(写真上)、中国の1元切手に描かれている【円楼の王様】承啓楼など約30の土楼が立ち並び、多くの観光客が訪れる洪坑村の土楼民族文化村を見学したということが分かった。

承啓楼

【円楼の王様】と呼ばれる承啓楼は直径73メートル、4階建、同心円状に建物がある。

中心は祖廟があり、中に住む数百人のための婚、葬、喜、慶事の場所もある。

1階は厨房と食堂、2階は農作物の倉庫、3-4階は居室である。

一家族の居住空間は縦に連なっている。といっても一家族の家の中仁階段がある他の中国の縦家とは違い、ここでは2階以上に設けられた回廊階内の移動を、上下の移動は2~4ヶ所に設けられた階段で行うのである。

外壁は土で作られているが、内側は木組構造である。外との堺である門は三カ所のみ。

最盛期には80戸600人が居住していた。今は半分にも満たない。

振成楼

「土楼王子」とよばれる振成楼は1912年に完成した四階建て二重円楼。全体が8区画に分かれ、8カ所に階段、8カ所の井戸があり、八卦楼とも呼ばれている。

他の客家見学体験記のHPにもかいてあったけど洪坑村への道のりはロケーション、道路状況ともにいつまでも脳裏に残るシーンの連続といえた。

近くの林から遠くの森までどこまでも続くバナナの畑?(写真下)というのか、バナナは南の島か東南アジアのジャングルとのイメージがぼくの頭の中で覆される光景だった。

あとで分かったのであるが、もし初めから洪坑村の土楼民族文化村を訪れるのであれば別なルートあったのだという。龍岩市回りでハイウエーにのると半分ぐらいの時間で来れるという。実際帰りは来た時の半分の2時間半ぐらいでアモイに帰った。

真相は分からないがこのルートを勧めたのはクルマと運転手を提供してくれた肖国平社長だという。永定は日帰りは無理があるのでアモイに近い「南靖土楼」を勧めたらしいが、情報によるとそこは八月の台風で壊滅して無い(倒壊)らしい。

それならということで永定へ延長したのだという。おかげで悪路の体験(写真上右)もしたし、行く途中に幾つかの土楼も見学することが出来たのである。

土楼民族文化村に着くと中国国営放送(北京)の文字を側面に書いた放送用(取材)バスが10台ぐらい中から出てくるのに出くわした。

あとで聞くと大々的な土楼紹介の全国放送が1時間半番組であったらしい。

翌々日、上海に帰ったとき李黎が「ケイジさんが出てくるかと思ってジーッと見てたけどいなかったね」と言った。

土楼民族文化村(世界遺産への申請が受理された)に入ると大きな案内看板があり、なにやら神社?寺院みたいなところがある。客家が造ったのか、それとも近年エリアのシンボルとして造ったのかさだかでない。一応、写真を下に付けておく。

ぼくたちはガイドもいなかったので何の説明も聞けないので足の向くまま土楼の中を宝探しのように巡り歩いた。

いろんな場所で客家の人達とでくわし、その都度「ニハオ!」を連発した。ほとんどがお年寄りと子供達だったがみな人なっっこく、顔を合わすと笑顔を返してくれる。ここの住人たちも世界文化遺産の一部なのだろうか。ふと、そんな気がした。

まだ慣れていないのか、他の同じような観光地のようにおみやげ店は数えるほどしかなく売り方もとても控えめで、あのうるさいほど賑やかな客への呼びかけはなかった。

しかし、すべてが共同財産といわれている客家においてはここでの儲けはそこの『・・・楼』の財産になるのだろう。

そうすると年々増えるであろう観光客からの儲けに味を占めた彼らが、これからどのように土楼の中を変えていくのだろうかと興味がわく。

1階は家畜が多く、特に豚小屋付近は臭かった。

上から全体写真を撮ろうと3階に上る。

そのまま廻ろうと思ったら2軒目で壁で行き止まりになっていた。

一度、1階に下りて中道を横断して、また上がりなおしたり。上ったり、降りたりと、最初の承啓楼では写真とりに時間を費やした。

画像だけ別にアルバムにして設けようと思ったけどサムネイル写真を下に貼る。

土楼の中をお見せしよう。最初の画像が横向きになってしまった。

左側写真は土楼民族文化村の中を、気のむくままにスナップ撮影したものです。

今日もアモイは快晴だった。聞くところによると日本は又、台風に見舞われているらしい。こちらにきてから最初の「草原の日」以外すべて太陽の下で過ごしている。

今、夜中の1時半、行きつけの足按摩が終って夜中の街をぶらぶら歩いてマンションに帰ってきた。

近辺の食堂では、道路に出したテーブルで陽気にお喋りながら食事をしている人たちであいかわらず賑わっている。ぶらぶら歩いていると一見,、風俗風の小姐たちに声をかけられたりして、アモイの夜は男達にとってもなかなか魅力タップリの街のようだ。

夜のアモイにくわしい肖社長が言っていた。

「アモイはカラオケとても多いです、賑やか、でも用心しないと2種類あります。唄うカラオケ、唄わないカラオケあります。注意、注意そして按摩所も二つあります。してもらう按摩、してあげる按摩、看板みたらすぐ分かります。どちら選ぶ、お客さんの自由(ニヤリ)」

そんなこんなでアモイの夜はなかなか更けない。

上山氏の話だと、こちらの治安は全くと言っていいほど良いのだそうだ。(保証するとは言っていなかったけど)

ちなみに今回、ぼくは上山氏紹介の○○足壷按摩に毎晩通った。

これを病みつきというのだろう。

夕食が終えてここに来るとだいたい11時近くになっている。

ここの按摩は指名制になっている。彼女たちは胸につけたナンバーが名前代わりになっている。案内されて部屋(といっても個室ではなくコンパートされているだけ)にはいり服務員の男性にお目当ての番号を告げると、その娘が空いている(指名がない)とやってくる。

ぼくがお願いした171番はあとの2日とも幸いに空いていた。(171さんはあまり指名がかからないのかもしれない)

おしゃべり屋で元気がよく、もちろん技術も申し分ない。171はとても気持ちの良い按摩をしてくれる。

施術時間は120分ということだがそれ以上してくれてるように思う。足按摩だから普通のイス式ソファなのだが、なぜか横に来て肩から腰、太ももと、イスを引くと背中がフラットになりベッド状態でしてくれる。

足の前にこれが30分以上は続く。二人組んでなので彼女らと4人での中国語&日本語会話はたのしく、面白い。

フロア内にはお茶や点心(、果物もふんだんにある。)をサービスして廻る小姐たちがいてたびたび訪ねてくる。なかに一人、とてもかわいい娘がいた。

あまり可愛いので名前を訊いた。 『 Ni jiao shenme ming zi? 』

ニ ジャオ シェンマ ミンズ? 『何という名前なの?』

彼女は16歳だと言った。もっとも暗やみの中だからどれほど美人か、分からないけど按摩のあいだ中なんども覗くたびに何か注文して(すべて無料)あげた。そのうち、ぼくの横の小さなテーブルは載せる場所がなくなった。

帰るときにその小姑娘(グーニャン)がそっと紙きれをぼくに手渡した。

その小さな紙切れには、ちいさな三つの文字がボールペンで書いてあった。

今、HPを書きながら、もしかしたら、と思い手帳に書きとめていた名簿を繰って見たら書き写しがでてきた。日月亭按摩所のアンマノサービス小姐名 邱連香

ほんのひとときの「ちいさな恋の物語」だった。

これだけ満足して料金は一人,65元、日本円で1,000円だから嬉しい。おまけに帰りにレジの前でサイコロを2個渡されゲームに当ると次回に、10元とか20元のサービス券がもらえる。というわけで3日通ったわけである。

按摩小姐たちは20代前半、よく訓練されていて皆、明るく,小銭(チップ)は受け取らない。アモイに行く機会があったら是非行って見られたら如何だろう。ちなみのお勧め小姐のNOは33番、95番、171番。邱連香ちゃんの写真がないのが残念(ヘン遺憾)

愈愈明日は僕の今度の旅の最後の観光・コロンス島へ御案内します。