吐魯番・高昌故城

ウイグル族はトルファンの人口の8割を占める
伝統的な舞踊を今でも保持している。

17人を一つの組として踊る。きらびやかな衣装を身に付けて葡萄棚の下で踊る姿は、独特で、私達の泊まった緑州賓館(オアシスホテル)の隣に劇場があり50元で、踊りを堪能した。

といえば、品がいいが、実際は踊りよりウイグル美女の顔とボディに目をとられていた。という方が正しい。ゾクッとするような美女たちだった。

トルファンは新疆ウイグル自治区の東方に位置する。天山山脈の東がわにすり鉢状に落ち込んだトルファン盆地は、南北60キロ、東西120キロあり、昔から「火の州」ト呼ばれた程の灼熱の地である。

トルファンは中国で最も海抜の低い一帯で、盆地の底にあるアイディン湖は海抜-154mで、中東の死海に次いで世界で2番目の低さである。夏の平均気温は40℃を超え、夜になっても30℃をくだらない。一方、冬は-20度前後で、時には-40度を超える寒さである。

年間の降雨量はわずか16mmという、極度の乾燥地帯である。

ガイドの董さんの説明によると、敦煌の降雨量は「カラスのなみだ」で、トルファンは 「雀の涙」というらしい。

5世紀には、漢族の王朝である高昌国が築かれ、640年に唐に降伏するまで栄華を誇った。

トルファン市街の南東45km、火焔山のすぐ南に位置するアスターナ古墳群からさらに4kmほど南に行くと周囲5kmという壮大な故城に着く。高昌故城である。

499年に漢民族の趨文泰が興した高昌国の時代は、最も栄えた時代だった。

経典を求めて天竺への旅を続けていた玄奘三蔵が、高昌王に懇願され、この地に滞在し、一ヶ月に渡って仏教の講義をしたことは余りにも有名。

高昌王から、黄金100両と銀3万枚、馬30頭,法服30具など 20年分の旅費を与えられて天竺へと向かった玄奘だったが、10年後に帰国の報告をする為に立ち寄った時には、高昌国はすでに唐に滅ぼされた後。

町はただ荒れ果てた無残な姿をさらしていただけだった。

私たちが訪れた時は35度以上はあったと思う猛暑で、写真のようなロバ馬車に乗って行った。

何と、肩から刺繍の袋バッグを20から30ぐらい下げた女の子(10歳~15歳ぐらいか)が馬車について走ってくる。

「5枚、せんえん。・・5枚、せんえん・・」とわめきながら。皆、なかなかの美人だ、一番年上の少女は特に日本語が上手い。ひとなつっこくて、それが手なのか、商売も上手い。

遺跡の見学、説明聞くどころじゃない。「アナタ、クニ、博多?
ソレトモ名古屋?」ときたときには、一瞬、感動?してしまった。

結局、10枚千円で、20枚買った。相棒たちもつられて買った。全部で60袋は買ったのかナ

私達の高昌国めぐりの思い出は,酷暑と物売り少女たちと刺繍袋だった。

独り、西瓜を買って食べる。冷えてないのでまずかった。
こちらでは、西瓜は単に水分の補給と考えられる。
半分切ってもらい、3元(50円)だった。

火焔山 西遊記の中で、孫悟空が鉄扇公主と戦った場所としても有名。こちらでは(赤い山)と呼ばれる。

ベセクリク千仏洞

窟の数は57有、南北約400mに渡ってかいさくされている。ムルトク河の両側は、緑豊かなオアシスの雰囲気。松間和尚がとてもこの地を感動してました。僕は砂山登山で来てないので、後で、ビデオと和尚の感嘆を聞き、とても後悔・残念の思い強し。次回は必ず来たいもの。左端の初登場女史は独り旅常習者トルファンの街歩きは長距離バスターミナル前のバザールから、というこでいざ出発!

古いビルを壊した後のような砂ぼこりの中を歩いていくと古びたモスク風の建物が現れる。

色とりどりの衣類や絨毯やウイグル族の帽子、カザフ族の刺繍などの店が続くでも何かおかしい、「いつも見慣れた中国の屋台街とは何か違う」と思ったら、人の顔が中国の顔じゃない。

ウイグル人の顔を初めて見た。こういう顔をイスラム系というのか、美男美女といえばそうとも言えるし、彫りの深い、目が魅力的、そんな感じですか。

しばらくの間、店に並んでいる品より、周囲の人の顔をビデオやデジカメにおさめるのに熱中した。品揃えはバリ島のテンパザールのバザールに似てる感じカナ。

違うと言えば干し葡萄を売ってる店が多いこと。僕はハニ瓜なるものを買った。乾燥果物なんだろうが、甘くて美味しかった。

実は、日本に帰ってから判ったのだけど、ハニ瓜が原因であの後お腹をこわして、激しい腹痛と下痢に見舞われた。黄色い半乾燥のあんず、といった感じで、売り子のおじさんに試食を勧められて1個食べただけなので、まさか、これが原因とは、判らなかった。

干し葡萄を6袋とハニ瓜を2袋、ここで買って帰った。 店のスタッフに上げたところ、皆、気味悪がって食べないので、「これは、トルフアン名物のハニ瓜といって、有名なものなんだよ。」と自分で1個食べて見せた。

それでも誰も食べなかった。そして、僕のお腹はあの時と同じ状態におちいったのである。

ついでに翌日のウルムチのバザールでのことをひとつ。

左の写真だけど、店員同士の喧嘩が始まった。自分の客を取ったの、とらなかったのが原因らしいが、このエリアはナイフや刀剣類が何軒も並んでいた。最初は、取っ組み合いの喧嘩だったが、突然、上から下げて陳列してた。サーベルを抜いて相手に切りかかろうとした。

二人とも激情してたので「ヤバイ!」と一瞬思ったが、後ろから誰かがパッと止めて惨事にならずに済んだ。  抜いた瞬間のチャリーンという金属音がしばらく耳に残った。

シルクロードの夜のいろいろ。

夜のいろいろといえばワクワク話しと思われるかも知れませんが、実はその通りです。

一度はエキゾチックなローラン王国の美女にスキンシップを体験したいとの夢と憧れを抱いておりました。

ガイドの董さんがニヤニヤしながら、「今夜、案内しましょうか?」 「ホント?」ということで、ワクワクドキドキ出かけました。

「まず、足つぼマッサージから始めましょう。」

「夕べも良子(中国の健全エステ)でしましたヨ」と答える。

9時頃だろうか、葡萄棚の延々と続く床はカラータイルの道を董サンのあとを続く。「良子より少し落ちるけど、変な所では有ません」董さんが応える。

20分ぐらい歩いただろうか、8階建ぐらいの建物に案内された。「ここはホテルです」董さん。

もう、かなり かなり薄暗い。董さんがいなければ、ゼッタイ行きたくないところ。恐さと好奇心が階段を押しやる。

ドアを開ける。なんてことはない普通の現地人用マッサージ室10台ほどベッドが並び5人ほど客がマッサージ中。

皆で靴下を脱いで足つぼをしてもらう、結構上手い。値段は良子の半額位、それでも、日本人料金だと思う。50元(750円)は高い。麗江の街のマッサージが90分80元だったから、そんなものかも知れない。

「気に入らなかったら止めてもいいです」 足つぼマッサージが終わり、靴を履いてると、董さんのニヤニヤ顔があつた。どうしょう。周りと顔を見回す。「まあ、見るだけ見てみるか」案内された個室のドアを開ける。

ローラン王国の美女が6人ほど、我々の目と彼女らの目と一瞬ぶつかる。しばし、時間がとまる。・・・・・・・・・・・・・・・・・ 

我々、眼でスキンシップしあう。そして、ゆっくり首を横に・・・・

だまってドアを閉める。

「よし!カラオケに行こう。」董さん、ニヤニヤ人ナッッコイ顔でわれわれを案内。歩くこと20分、とあるビルの地下に案内する。

誰も客のいないうら淋しい場末のカラオケ屋でウイグル美女ならぬ??族の小姐たちと訳のわからる歌を唄ってトルファンの夜は更けるのでした。

緑州賓館はトルファン一の高級ホテルでした。

ここのカラオケルームのほうがよほどよかった。

明日もウルムチでウイグル美女とスキンシップできるかも知れない。

そんな夢でも見ることにします。

ウルムチはこちら。