青海湖

チンハイフー qin hai hu

中国最大の塩水湖で、周囲は360km面積は4583平方km 標高3910m流入する河はあるけど流出する川はない? 5~6月東南アジアやインドから数万羽の渡り鳥が飛来する。

2004年5月21、22,23日

5月21日夕

西寧に着いたのは夕方である。

西寧の駅には若い袁クンが迎えに来ていた。

ホテルへ案内すると言う。タクシーで5分もかからないというから歩いてもそこという距離のようである。

世話人の袁くん。(西寧旅行社)

ということは、その町の繁華街はけっこう遠いということか?

訊いて見たら、たいして遠くないという。

もし、貴方が時間があったら、ぼくを街の屋台に連れて行ってくれないか?と聞くと。

「アァ、いいですよ。(もちろん中国語)」と、ニコニコ顔で答えが返ってきた。

西寧の屋台村は愉しかった。すごい活気で、貴陽の屋台もすごかったけど、地方都市(省都)の屋台はとても愉しい。まず安いのが一番、そして、果物が豊富である。

5月22日

朝、7時に青海湖行一日ツアーのガイドが迎えに来た。

15人乗りのおんぼろマイクロである。もうこの手の乗物には慣れてしまった。

天気は曇り、こちらに来てても、曇りそらは頭が重い。青海湖は海抜3000m越える高地にあるという。黄龍を思い出す。

いま、バスに、6人乗っている。例によって、あちこちにいる今日の青海湖行の参加者と携帯で連絡をとりながら拾って行く。

全部の参加者が乗り終わるまでに約1時間ほどかかるのはだいたい分ってきた。

この段階ではツアー参加者はお互いにほとんど、会話が無い。

これが、帰りの頃はバスをそれぞれが降りるたびにまるで親戚か旧知の仲間のように、にこにこと、大きな声で、時には冗談を交わしながら、名残惜しそうに一期一会が終わる。

中国一日旅行のたのしみな1つでもある。

さて、僕は今日はいかような手で皆と接しようか?

今までの鄭州、洛陽、蘭州は僕一人に案内人という旅だったけど、見知らぬ中国人のなかに自分一人という一日旅行は経験がない。

ゴールデンウイークは思いがけず李黎とのふたり旅になったし、衝山の時の一日旅も、九寨溝や峨眉山のときも小燕と一緒だったので他の乗客とのコミニュケーションは心配なかった。

まあどうにかなるだろう。こういう機会を自ら求めていたのだから・・・と開き直っていた。

ところで、今から行く青海湖とはどんなところなのだろう。

ウルムチの小馬から薦められるまでは場所も知らなかった。

後で調べた情報では中国最大の塩水湖で日本の琵琶湖の6倍という。

ある旅行社の分類では《秘境の地》となっている。

青海湖には今の時期(5月)が一年中でいちばん見ごたえのある季節なんだそうで、おびただしい数の渡り鳥が空を真っ暗に覆うんだそうである。

ぼくはヒッチコックの名画《鳥》を想像している。

小燕は「おみやげは青海湖で買ってきてね。」と言った。

ただ、気になるのは九寨溝で一緒だった広州の李さんは「中国はほとんど行くたけれどいちばん面白くなかったところは青海湖だった。あそこだけは行きなさんな。」と言っていた。

8時20分すぎ、バスはまだおそらく最後の参加者を捜して、あちこち路地を走り回る。参加者も、もっと広くて、わかりやすい所まで出てきてたらいのに、日本ならそうするだろう。

ヤット、最後のメンバーか、男女ふたりに小さい子供組を拾うとバスは満席15人になった。

やがて、若い女性のガイドの案内が始まった。

10時前、周りの風景が一変した。

しばらく大草原をご覧下さい。

「大草原」・・・・・・という言葉を生まれて初めて実感した。

あとで旅行雑誌をみると《湖東牧場》と名前まで載っているところだった。

湖は頭に浮かんでいたけど、その周囲はこのようになっているということは想像だにしていなかった。

だれも教えてくれなかったし、本も読んでいなかったから、この延々と続く大自然のサファリパークには感動した。

むかし、中学校の社会の教科書で読んだことのあるサバンナとかプレーリーとかいうコトバが蘇ってきた。

延々と続くフェアウェイ、なだらかな起伏、砂漠の形のまま草が生えている感じというか?

ひとかたまりに現れる羊の群れ、そしてヤクの群れ、ときどきは馬のむれ、そして、フエアウエーが突然ラフに変わっていくと車道の脇3メートルぐらいのところに両側、金網が張ってあって羊たちが車道に出てこれないようにしてある。

かれこれ1時間も走っただろうか、今まで蜃気楼のように水平線に見えていた山かげは、全く見えなくなっていた。

草原と羊、牛、たちの景色がこんなに飽きの来ない眺めだとは思いもしなかった。

この草原にドライバーとアイアンを二本、それでゴルフボールを打ちながら果てなく進んでいったらいったい「どうなる?」と考えたり、それはもう、いろいろなことを想像した。

一番後ろに座ってよかった。というのが、羊の集団というか、羊たちもグループがあるらしく、そのグループのリーダーがまず、車が行き過ぎるのを待っている、そして、次のバスが来ないのを確かめてからそろそろと、車道を渡り始めると、あとに集団が続くのである。

果てしなく続く直線のハイウェイをバスのうしろの窓から眺めていると動く白線が次々と連なっている。「急げ、急げ!」とせかしたくなる光景が今でも眼に浮かんでくる。

(なんどもシャッターを切ったけど残念、よくわからない。)

隣に座っている婦人が「へんな日本人」と、思ったことだろう。

横を撮ったり、うしろを撮ったり、デジカメで撮ったり、ムービーカメラで撮影したり、一時もじっとしてない。

ちなみに、たいていの乗客(全部、中国人)は眠っているようだった。

0時頃バスが青海湖に着いた、バスを降りていまからカートに乗って鳥島に向かう。そのカートの乗り場が混んでいる。

きれいに並べばいいものを皆が団子状態になっているからせめぎあいが続いていて、僕はグループの前の方に並んでいたのだがアッというまに結局、ビリになっていた。

中国人はすごいパワーである。特に並びの時はすごい。

想像していたほどには《鳥島》の鳥は迫力はなかった。

空を覆うなんて光景は皆無、ほとんど沼か砂地のうえで餌をついばんでいる光景だった。

数は多かったけど、これほどの人が集まるのだから「やはり中国」なのだろうか?出水の鶴だって、此処に負けない見栄えがする。

ぼくは知り合った中国人やガイドに出水のツルのことを言いたくてしょうがなかったけどとても残念なことにツルという中国語がどうしても浮かんでこなかった。

それはそうと、実は朝からぼくは何も食べていないのに気付いた。今2時すぎだから、何か食べたい。

今朝、予定では7時半にバスが迎えに来る事になっていた。

だから、7時にホテルで朝食をとって、そのままバスを待とうと思っていたら7時にツアーのガイドからの電話が入ったのだ。

昨夜、劉くんと屋台のはしごをした。3軒の屋台を食べ歩き、最後の店でエビの蒸し焼きを30匹近く食べた。

ちなみに一ザル70匹ぐらいで20元ぐらいと安い。もう食べ過ぎて、それなのに、帰りにゆでジャガイモ〈朝、捨てた)まで買ったのだ。

とても朝食をホテルで食べる雰囲気ではなかったのが災いした。

「先生はちゃんと朝ごはんは食べなきゃダメデスョ。」と旅発つ前にぼくに念を押した小燕子の声が聞こえそうだ。

先日の夜行のときと同じだ。

スニッカーが眼にちらつく、あのチョット固めのスニッカーを食べたい。

5:00

ヤット車が休憩所らしきところに停車した。目の前には青海湖が広がっている。   最初はトイレ休憩かと思っていた。

青海湖郷土料理の夕食だそうである。

このあとの一日旅でも、よくあったけど、帰りに6時ごろ、途中下車して夕食を皆で食べるのが定番らしい。無論、この場合は支払いはそれぞれだから、食べようが食べまいが自由である。

今日はひとり30元ということだ。もう、値段も料理内容もなんでも良かった。
 出てきたメニューは、青海湖の黄魚だった。

スープから始まって、から揚げ風、甘酢あんかけ風、油揚げ風と4品の黄魚料理が続いてくる。まずいご飯にマントー2種が主食である。

次に野菜炒めが4品ほど続いた。塩味がついてて旨い。まだあと2品あるらしいがもうお腹が一杯だ。あんなにぺこぺこだったのに食べ始めたらもう入らない。

中国人とは胃の大きさが違うのかもしれない。それにしても皆は良く食べる。ちょうど側にみやげ物売場があったので頼まれていた小燕へのアクセサリーでも捜そうと思った。

6:30

バスは西寧に向けて走っている。

あの感動の大草原を今度は反対側の窓から見ることにした。

羊たちを見ているとあることに気付いた。

何千匹、何万匹だろうか?かれらは何をしているかといえば皆草をたべている。もしくは、鼻を地面につけて歩いているか、のどちらかである。

ポカンと上を向いている羊は一匹もいない。羊だけではない、ヤクも馬も同じ姿勢である。

青海湖の高速ゲートを過ぎる時、時計を見たら午後7時を指していた。

完全に日が沈むまであと50分はかかる。

今日も好きな日の出と日の入りを眺めながら一日が過ぎようとしている。

夕日

次は西寧・タール寺へ行きます。