蘭州

ランジョウ lan zhou

旅行ガイドにはあまり蘭州はよく書かれていないけど僕はなかなかいい町だと思う。公害問題などで汚れた町との世界的評価の回復に努めた現在なのかもしれない。写真は現在、工事中で渉れない白塔山に近い黄河を渡る黄河鉄橋。

2004・5・20

蘭州へ

「ぶらり旅」で利用した寝台列車は6回ほどあったと思う。 蘭州へ行く時は下段ベッドだった。

下段は頭のそばにテーブルがあってその下にはポットが置いてり、皆が利用するので中段や上段のように早くから横になることが出来ないから嫌いだった。

案の定、一組の夫婦が遅くから食事を始めた。何か、とても匂いの強い(あまり好きでない)おかずを食べている。

食後は奥さんの方は上段にさっさと上がったけど、男の方は友達が替わりにやって来て二人でビールを飲み始めた。

寝台車内
車内で買って食べた弁当。5元?

ぼくの頭が来るであろう位置に男のお尻がきてる。 とても嫌な感じである。下段ベッドの嫌いな典型的ケースである。

そういえば、書かなかったように思うが、旅のはじまりである長沙から鄭州行きの寝台は中段だった。 

上段とばかり思い込んでいた。鄭州の日本人女子留学生からの長い電話の後だった思う。

夜中にトイレに立って帰ってきた。車内は真っ暗だった。ぼくは上段とばかり思い込んでいたので、目ぼしい位地で上段に上がろうと手をやったら人の足に手が当たった。(一瞬、ビクッとした。)

列を間違えたと思い次のベッドに行くとそのベッドは見ただけで膨らんでいた。

今度は一つ手前の列の上段を下からそっとふとんを開けてみたら、又足があった。

目ぼしい場所を4回ぐらい往復したが全部人が寝ている。パニック状態になった。

初めの場所に戻ってくると中段(そこはぼくの向かいになるベッド)の男が大声でわめいている、おそらく

「お前のベッドはここじゃないか!何を寝ぼけているんだ!」

とでも言ってるのだろう。そのうち、車掌までやって来て「切符を見せろ」と言う。

中国の寝台列車は何故か?汽車に乗ってから切符と金属のチップ(犬の首につける検札片のようなもの)に変えて、汽車がつく頃元の切符と交換する。

目の前に自分の寝ていた中段ベッドが主を待って空いているではないか。

あたまを掻き掻き、「スミマセン、ネボケテマシタ」を連発して事なきを得た。ひとつ間違うと、とんでもない大事件になりかねないところだった。

《鳳凰》へ行く時に乗った硬寝台車は素晴らしかった。二階建て寝台で、下段に上下二段ベッドがあり、上段に同じく二段ある。幅もひろくて何もかもが新しい。

それに較べこの列車のひどさはどうだろう。相客との会話の夢も消え、ICレコーダーでのシャケンや小燕や学院の生徒たちとの会話復習に励むことにした。

蘭州の駅には早朝の6時過ぎに着いた。

小燕から「蘭州の案内は女性ですヨ。タノシミネ。」と言われていたのでチョット愉しみにしていた。

でもぼくを迎えてくれたのは小太り(遠慮して言って)の女性、でも、ニコニコととても愛想がよさそう。力もありそう。

ガイドはどこでも親切で、よく気がつく、おまけに力持ち、中国語でダオヨゥとよぶ。漢字は尋游と書く。ダオの字は簡体字である。

案内してくれるクルマは黒のアウディの乗用車だ。運転手も女性でダオヨウに負けないくらいの体格をしている。

二人とも30代半ばといった感じである。もうひとつ、二人に共通した特徴はとても髪が短いことだ。もう、ベリーショートなのである。

運転手の方は後ろから(前からも大差ないが)みるとほぼ男性化している。気分も、二人の会話も、聞いてると男っぽい。イエイエ、決して嫌な印象は受けない。むしろ、その逆と言っていい。

夕方には西寧に向かう(火車で)ので蘭州のコースは忙しい。ぼくは蘭州での観光についてもお恥ずかしいが知っていなかった。本当にどうしたことなんだろう。

旅程表も貰っているし、分厚い「地球の歩き方・中国」も持っているのに。

あまり旅の連続で観光地めぐりの意識がなくなったのか、でも、ただひとつのキーワード、黄河をまたぐ第一番目の橋がここにある。

その橋の上から黄河を眺めてみたい。それと、もし、実現するなら、何らかの方法で河の上を舟で流れてみたい。ということだけだった。結論から言うと、すべて、実現した。

ただ、有名な第一橋だけは今、補修工事中で渡れなかった。なにやら、橋の高さを変えるのらしい、8月には完成するとのことだった。

最初に向かったのは「白塔寺」で、ここも、予定の上り口が工事中とかで、くねくねした裏の山道を、分かれ道になると、誰かに訊きながら頂上に着いた。

また、二人に案内されながらいくつかの寺を覗きながら降りた。

イスラムの寺もあり、この山も霊山なんだろう。蘭州の市民の憩いの山だと言っていた。ながい歴史のある山寺というのはよく分った。

二人の早口の中国語の解説はよく分らなかったけど、分った振りの演技は前よりさらに上達していった。

山を下がりながらお寺を訪ねるというのはとても快適だった。

蘭州の街は川沿いに沿って綺麗な道路が一直線に続いている。次に向かったのは黄河の河川敷きに降りて、魚かエビを捕っているところを見学に行った。
これは多分、観光のコースではなかったのだろう。

橋を渡ってぼくらはUターンした。なにやら水車が見えるところに来た。コース表に+++水車と書いてあったので予定のコースなのだろう。

河近くにモーターボートやゴムボートみたいなのがあった。たぶん、黄河で遊ぶ船に違いない。

すると、ダオヨゥが  「イカダ ニ ノッテ ミナイカ?」と,言った。よく見ると黄色い皮袋がたくさん板に付いている。何時かどこかのテレビでこの皮袋(一匹の羊を殺して、腹の中を空っぽにして、中に空気を入れて紐で結んでしまうのを見たことがある。

よし、これに乗ろう。と決心した。鄭州で黄河の河川敷をゴムの水中翼船で走るよりはるかに愉しい体験だった。50元で一生の思い出を作ることが出来た。

DVムービーをまわしながらのイカダ乗りだったのでバランスに苦労したけど後で見てみるとなかなか良く写っていたので嬉しかった。

やはり女性はいい。何の話だと思いますか?

ガイドの話です。もちろん、ミャオティャオなピャオレンは鑑賞としての心身の後のほうの脳神経を刺激してくれますが、それなり女性は前の方の神経に心地よく反応してくれます。

蘭州の二人のサポーターはその意味ではとても心地よい同伴者でした。

よくしゃべりまくり、よく笑い(かなりの豪傑笑い)、よく、クルマから外とケンカ(に中国では聞こえる)をする。

二人して(とても仲の良い友人同士らしい)漫才をしてるようで、僕を巻き込んでしまう。

コトバはまさに方言も混じっているので昨日のジャオよりまだ理解できないのになんとなく身体で分るから不思議。

2人とも主婦でこどもがいるらしい。

運転席と助手席で交互に僕に向かって孫娘の話を聞きたがる。2人とも小学校の高学年らしい。

全寮制だという。そして、子供に対する期待感?思い入れ?そんなものは中国人の親たちはかなりのものである。

子供に対する考え方、というより中国人の家庭・家族観はいろいろ考えさせられる事が多い。家族の絆の強さを感じる。

親は子供に対して教育の為には金を惜しまない。しかし、貧乏でその惜しみたくない金がない家庭が多い。

親の気持ちがよく分る子供たちは、自分は大きくなったら絶対お金持ちになって今度は親を幸にしたいと考える。

僕の教えた日語学校の生徒たちの《将来の夢》という作文に、ほとんどの生徒が「大きくなったらお金持ちになりたい」と書いている。

そういうパワーが今の中国の発展の原動力になっているのかも知れない。

デモ、書いている生徒の多くが「・・・・と思っていましたが、今は少し違います。お金より大事なものは何か?

お金持ちの悪行?に対する批判的な考え方も書かれていたのを思い出す。

(注:「ケイジの長沙日記」を参照。 )

ところで、蘭州での一日ツアーは左の写真が時間の経緯と同じにしてあります。(静止画を除く)

お昼は何を食べたいか?と聞かれたので、羊の専門料理でも食べたいですネ。と答えると、「ヨシヨシ、お任せ下さい」と言い、又30分ぐらい車を郊外に、と言っても黄河沿いに走らせて左写真の店に連れて行ってくれた。

まだ時間があるといって、ガイドさんは蘭州一のデパートを案内する.と言い連れて行ってくれたが余り見たくもないので、それでも3階ぐらいまでは興味ありそうな顔をして眺めまわしたけどその上についてはお断りしてデパートを出た。

・・・・・3:00

蘭州の待合室から改札が始まった。

電光板もなく、ただ中国語による構内放送だけである。もっとも聞いてる乗客たちの動きでほとんどは判るのだけど言葉の理解はむづかしい。

運転をしてくれた劉 さん。

司机の劉さんが一緒にホームまでぼくの荷をひっぱってくれた。

切符に02下5号と書かれていた下とはなんだろうと思っていたら、何とその火車は二階建て列車だったのだ。

結局、彼女はぼくを列車の中まで荷を持って付いてきてくれ、なんと!横に座ったカップルの中国人に「他去西寧、他是日本人、到時候 ヨロシクネ」とお願いまでしてくれた。

そして、ホームに降りて汽車が動き出すまで見送ってくれた。

今回の旅は司机やガイドに恵まれたけど車中の相客とはあまりコミニュケーションがなかったのが残念だった。

とのんびり朝から
余暇をたのしむ年配市民。

よく、旅の体験談で聞く

《中国人は好奇心にあふれた人種だから、何でも聞いてくる》と聞いていたけど、だんだんそれも昔は・・・・と言うことになるのかもしれない。

司机から、ぼくの事を頼まれたカップルも、列車が西寧に着いたら僕に目で合図をしてくれたし、ホームに降りてからも、改札口に行くまで目を配ってくれた。

もしかしたら、ぼくがだまっていたから向こうも話しかけてこなかったのかも知れない。

次は青海湖に行きます。