立教卒50周年記念大会写真

昭和38年卒 日文F組 卒50周年記念

2013(平成25)年5月 53年振りの母校での開催でした。

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白黒写真は53年前のものです。

久し振り(卒後2回目)のクラス会に参加してまもなくひと月が過ぎようとしています。

それまで何度か泉くんから誘いの連絡を請けましたが何故か東京時代に郷愁を感じませんでした。もっとも東京には親戚の結婚式とか、協会の総会やビジネスでは訪れましたが海層の違いで疎遠になっていました。親友だった室さんが去り、眞ちゃんのべらんめぇ調の悪態口(それが好きでした)ももう二度と聞けなくなってしまい会いたい人が減って来たからでしょうか。眞ちゃんは共有する年代ごとに電話口から突然声をかけてくれていました。「オイ!坊や!何してる、そんな田舎にくすぶっていて、通ちゃん(僕の妻)も元気してるか!出てこいよ」ぼくと立教時代を繋ぐ唯一のライフラインでした。

皆の声を聞きたい!顔に会うよりみんなの声に逢いたい!そんな願いがぼくを東京に惹き寄せたのかも知れません。皆さんと会って充分、長い空白を埋めることが出来た帰り道、ふと口に出たメロディがありました。小椋 佳の『白い一日』の歌詞でした。私たちが30代のころに井上陽水が唄って流行しましたがぼくは詞を作った小椋 佳の歌の方が好きでした。

皆さんと会い、2次会に行ってもほとんど共通の想い出も、まして、その後の集まりにも参加していないので卒業後の共通の回憶もありません。でも、この旋律が口に出ると言うことはぼくの気持の中に埋もれてしまっていた若き青春時代のあの頃の風景が甦っていたのかも知れません。こんな歌詞でしたね。

「①真っ白な陶磁器を 眺めては飽きもせず かといって触れもせず そんなふうに君のまわりでぼくの一日が過ぎてゆく。③  ある日踏切の向こうに君がいて  通り過ぎる汽車を待つ 遮断機が上がり 振り向いた君は  もう大人の顔をしてるだろう。④ この腕をさしのべて その肩を抱きしめて ありふれた幸せに 持ち込めればいいのだけれど 今日も一日が 過ぎてゆく」

高円寺で小さなアパートに住んでいた頃、南口と北口を挟んで走る中央線の桃色の電車が通り過ぎるのを待っていた20代初めの夢も希望も大してなかった頃の自分を思い出します。(以上、感傷) 

泉クンから送られてきた中馬くんが写してくれたすばらしい白黒写真とメッセージにしたためられていた5年後の呼び掛けに、F組仲間同士でだけ通じる「喜寿にもなってまるで“むかしのまんまのよう!”」に応えて元気に出かけられるよう「健やか」に日々を暮らしていきたいと思っています。

ただ、「5年は長いよね」言う気持ちも共有した感想じゃないでしょうか。ダブルイベントを半分に分けるのを提案したい気持ちです。せめて後期高齢者の前に1回とか。

さて下手な写真がいっぱいありました。折角写したので1枚1枚印刷も大変なのでまとめてDVDにスライドコピーさせてもらいました。止めてみたい写真があった時にはリモコンの停止ボタンを押してご覧ください。後半、個人的な50年前の仲間だけの懐古写真が連なっていますが女性の皆さんにはあまり関係ないのでスミマセン。

また、欲しい写真がありましたら相本くんにデータを送っていますので優しい彼が喜んで?複写してくれると思います。 スライドの最後に「白い一日」の音楽をBGMとして挿入しようと思いましたがおしつけがましく思いやめました。

だらだらと、切れの悪い作文を連ねてしまいましたが、愉しい機会を作ってくれたお泉と相ちゃんに、そして、集まってくれた仲間に、感謝!