内モンゴル~山西~北京~厦門

2006年9月6日(水)~20日(水)(14日間)

2006年12月8日、すべてのサイト完成しました。

フフホト 包頭 雲崗石窟 五台山 北京 アモイ 客家 懸空寺

6日の上海で買った夕刊(晩報)
7日の朝刊では『41年ぶりに皇室ではやっと男児が産まれた。
紀子妃は帝王切開で5Kの男児を。継承人難題はしばらく静観。

プロローグ上の写真は「故障機乗り換えの各シーンを写したもの。

それぞれの説明は入れていません。 暇があったら充てて見てください。

昨年,登った泰山で五岳のうちの四岳を登った。残るは北岳恒山だけである。

でもよく調べてみると恒山(2017m)への登山はマイナーなようで、泰山や華山のような人気ルートはないという。

大同市の南東,恒山風景名勝区の崖の上に張り付くように建っている有名な仏教寺院・懸空寺こそが恒山の中腹にあるので、そこに行くことで五岳を踏破したことにしようと思う。

また、今回訪ねる雲崗石窟で中国三大石窟(他は敦煌の莫高窟、洛陽の龍門石窟)もクリアする。五台山は中国仏教四大(山)聖地の1つに数えられている。

四川の蛾眉山、寧波の普陀山、は既に訪れたのでここを訪れるとあとは浙江省の九華山を残すだけである。

実は、今年の旅のコースは現地に行ってから変えてしまったのである。

当初、五台山のあとは、そのまま南下して太原に行き、その後、世界遺産『平遥』を2日ほど、のんびり歩き回ろうと考えていた。

できれば折角だから黄河の「虎口瀑布」には行けないだろうか、とHPをあさって見たりした。

変わったのは旅も半分が過ぎた頃だった。草原を馬で駆け、砂漠を駱駝で徘徊し、山上の寺を見て回っているうち、知人が日本語教師を務める福建の海岸地アモイのコロンス島が大きく目の前に広がってきた。

それに包頭から乗った大同行の硬寝台車の中で横に座った男の人が話しの中で『平遥』はつまらない所だ、と言ったのも影響した。

「大石さん、こちらは暑い夏ですよ、Tシャツで毎晩歩いてるよ。」と携帯電話の向うから上山先生数回のラブコール。(に聞こえる。)

よし、平遥はやめて北京に戻ってアモイに飛ぼう。近くには、いつかテレビで見た土楼「客家」の里があるはず、一日ツアーで行けるかも知れない。

そんな訳で、中国を北南へ駆ける14日間の旅が決まったのである。

終ってみれば今回もいろいろ思い出多い旅だった。

話を戻せば何故、内蒙古からスタートしたのかもいろいろ試行錯誤があったのである。山西省が第一目的だったことは先に書いた。

大同へまず行くアクセスを調べると上海から大同へは現在飛行機は飛ばないらしい。

大同空港が改装中と、最新版の「地球の歩き方」に書いてある。そうすると、まず上海から北京へ飛ばなければならない。

北京から大同へは汽車で6時間とある。長途バスもあるとはいうが6時間というのは実に無駄な時間なのである。夜行を使うと夜中に着いてしまう。昼間行くと1日が無駄になる。

どうせ大同に飛べないなら、何も北京に寄らずにフフホトまで上海から飛んでそれから南下するというのはどうだろう。

早速、内蒙古出身の留学生・丁雪輝さんにいろいろ聞いてみた。同時に、地球の歩き方』や、インターネットでフフホトを検索、いろいろな方の旅行記を読んでみた。

最大の目玉、「草原ツアー」の催行期限が9月上旬と書いてあった。調べるうちにこれは雲崗石窟や懸空寺より内モンゴルの方が面白い。ということになり旅のメインが変わってしまった。草原を駆けるわが姿を思い浮かべていた。

内モンゴル第二の都市「包頭」も調べてみるととても魅力的な都市だった。

僕の好きな「黄河」の最北端が見られる。それに、砂漠もあれば、ジンギスカンの陵もあるという。ここにも行って見たくなった。

『何にも無いですよ~』という留学生の丁さんに、しつこく質問することが多くなった。

「大石さん、本当に行きたければ、包頭はわたしの故郷ですよ。たくさんの友人や親戚の叔父さんも居ます。車で案内してくれますよ。遠慮しないでいいですから。」と何度も言ってくれた。

ぼくは、旅は未知の人の世話をなるべく受けたくない、スケジュールを拘束されない、を中国の旅では特に信条にしている。

と言うのは中国の交通機関は本当に何時に、どこどこでと決めたら80%が心臓を悪くする結果が待っているからである。

また、中国人の応対(接待)は生半可ではない。徹底的に面倒をみてくれるのが多いことを経験している。

それは、とてもありがたいこと。実際、その間かかる経費まで全部、払ってくれる。至れり尽くせりである。・・がしかし、「身をゆだねる旅」になる贅沢な不満が残ることがある。

《時の流れに身をまかせ》るのはたまには悪くはないが、《人に身を任す》のは男だからあまり好きではない。

ぼくはそのことを丁さんにも言った。

「大石さんの言うこと、よく分かります。心配しないでください。」

いろいろあったが結局、フフホト2日、包頭2日のスケジュールがきまった。包頭での滞在中は丁さんの叔父さんの世話する車を使わせてもらうことにした。

こうして旅の上期(4日間)の詳細な計画がたった。中期は大同・雲崗石窟と懸空寺、それに文殊菩薩の五台山である。

ここの旅では医学留学生の王宇清さんのアドバイス「大石さん、仏像やお寺を見学する時は日本語ガイドを頼んだほうが良いと思います。」「そうしないと案内書と見比べながらの面倒な見学になりますね。」

彼女のコトバに、はっとした。

そういえばここ何年かのひとり旅では運転手か、頼んだ中国旅行社の中国語ガイドの殆んど肝心なところは理解できない説明に「明白了」「是マ?」「好的」「真的マ?」と言って合いの手は打っても、何にも不明白了だったのだ。

要は一人でガイドを付けるなんて勿体ない。とけちっていたのである。200元が相場らしいので今回は初めからそのつもりでいた。(成功した。)

かくして、9月6日(水)快晴の朝、ぼくは準備万端整えて、妻の通代と一緒に鹿児島空港へむかった。朝のニュースでは今朝、紀子様が男児をご出産された。と報じていた。そういえば、昨年,発つときは小泉首相の靖国参拝のニュースだったっけ。

東方航空カウンターでフフホト便の変更チケットを受け取り上海へ向かった。

しかし出発時間が変更になったこの上海航空のフフホト便は翌日トラブルを起こし結局は飛び立たなかったのだ。

最初の計画では7日朝、7時15分発のMU便を購入していた。これだと、フフホト着がお昼頃になりネットで予約していたホテルにある「中国旅行社カウンター」で翌日の「草原ツアー」の予約が出来るつもりだった。

そのあと、郊外にある「昭君墓」は無理でもフフホト市内の観光地「大召」や「席力図召」「博物館の恐竜見学」また、夕方の市内ぶらぶらなど可能だろうとプランを立てていたのだ。

ドキュメント「何故、飛ばない?」

上海発 呼和浩特ゆき 5:45発 8:00着(予定)
BOMBARDIER CRJ-200(46人乗り12列 片側2人掛け)

5:40 フフホト行 手続き開始。バスに乗って着いた、目の前の飛行機を見てビックリ。おもちゃのように小さなボロ飛行機である。機体が汚れている。

一応、48席はあるにはあるがシートも狭ければ、通路も極めて狭い。年配の女
服務員が行ったり来たりせわしない。

何だか、墜落しそうな予感が飛行機を利用して以来40数年、初めて感じた。蒙古の砂漠の砂に消える。今から旅の始まりだというのに冗談じゃない。

そういえば、さっき待合室にいるとき、アモイの上山氏と中国の飛行機事情について語り合ったばかりだ。

6:25分(機内に30分ほど居たことになる)、ぼくは今,飛んでいる機内にいるのではなく、搭乗手続きを待つ虹橋空港の待合室に座っている。そして、ひまなので、この顛末(まだ進行中)をメモしている。

実は私たちは回来了。つまり、空港に戻ってきたのである。

飛行機はエンジン音高らかに正に離陸寸前から又音が小さくなりオーバーラン寸前で止まってしまった。

「なんじゃ、どしたんじゃ!」

「飛び上がったら墜落しとったんじゃねーか!」

『早く、もとに戻って別なのを飛ばせ!」

とまあ、そんなことでも叫んでいるのだろう。年増の空中小姐(スチュワデスのこと)と乗客の間で喧嘩が始まった。

内容が分からないので、帰ってから田くんに訳してもらおうと、ポケットに入れておいたICレコーダーの録音スイッチを入れた。(帰ってから聞いたら雑音で聞き取れなかった。)

機長の説明がスピーカーから流れると急に皆が静かになった。

最初の搭乗待合室に戻ったのが6時25分、それから われわれには2つの選択があった。1つは、やがて修理が終る筈のCRJ-200でフフホトに飛び立つか、あるいは次の定時便9:45分まで待つかを決めてくれ、と言う。

ぼくはホテルのことが気になったけど、あの飛行機には乗りたくないので後便を選ぶことにした。

説明する担当会社の服務員の言葉がさっぱり分からなかった。横にいた親切そうな女性に要点だけを逃さないよう質問し、答えを聞きいった。まあ、大筋は上のような感じだった。

赤いカードを貰って、幸い、その女の人も後発を選んだようで、一緒に最初の搭乗手続き以前に逆戻りした。

良く分からないが荷物検査やパスポート検査以前の状態へである。

親切女が僕を手招く、弁当の配布だと言う。

余り食べたくない、鶏のごてとかぼちゃの煮付けに漬物、あとちいさなりんごが2つ。

いろいろあって今、午後8時(最初の故障機から3時間が過ぎていた。)

ボーイング737に最初に乗った全員が乗っている。われわれが乗った時はもう前のメンバー(修理待ち)は既に乗っていた。左右に三人づつ6席が30列ある180人乗りの大型機である。あの「命拾い機」とは雲泥の差だ。

8:10 エンjンの音が上った。「今度はお願いします737さま」

8:14 大丈夫、空の上です。

上海航空と東方航空が協力して特別機を出したのだろうか。

そういえばぼくが最初に買ったチケットではMU5651K7:15発だったけど変更後の夕方発の便は何航空かよく見なかった。

まあそういうことはどうでもいいけど気になるのは、このままいけばフフホト着は間違いなく11時は過ぎているだろう。

このことはかなり心配なことなのだ。

機内放送によると、フフホトの気温はひとけたの4℃という。

格好をつけてぼくの服装はTシャツだ。

それでは最初の訪問地フフホトへ御案内しましょう。