休息休息一下
《休息休息一点々》 1
《洛陽駅での出来事》
少し早めに洛陽駅に着いた。 2:20発ならあと1時間はある。
まあ、ゆっくり駅で待つことにしょう。
落陽から蘭州まで16時間程の汽車の旅である。長沙から鄭州行きの夜行列車でこりたので構内の売店で食料を買うことにした。
車内には各席ごとにポットにお湯が入れてあり、たいていの中国人はインスタントのカップヌードルかラーメンを食べる。
ぼくは、あのポットがどうも苦手なのでラーメン類は食べない。 替わりにビスケットやパン類を買い込んだ。アハハも忘れずに買った。硬座待合室は相変わらず乗客でいっぱいだ。
座る椅子を見つけるのに一苦労である。それも、なるべく発車を知らせる電光掲示板が見える椅子に座りたい。
汽車のキップを見るのも何回目か、見慣れてしまって余りよく見ていなかった。14:20と言う数字と4号車20号の下(段)だけを何度も確認していた。
よく見るとおおきな文字で鄭州~蘭州と表記され上の隅に2009次と列車番号がついていた。
ぼくは退屈しのぎに構内に書かれている洛陽駅を通過する時間表を眺めていた。
いくら捜しても2009次の列車番号が見つからないのである。
慌てたぼくは今度は14時20分に鄭州発、もしくは同じ線の先の始発を探したど洛陽駅に止る列車で蘭州もしくは西寧行きの列車はない。頭が白くなってしまった。
冷静に、冷静に、とぼくは自分を落ち着かせて、駅員に訊きに行く中国語文を考えていた。
未だ時間はたっぷりある。 伝家の宝刀の小燕にいきさつを電話をした。それにしても、このキップはここ待合室に入る時も、チョット気になって、というのが二階にも待合室があるらしく、乗客が二階にも上がって行ってる。
売店の売り子のおばさんにもキップを見せて、「ジャーリ、クァアイ?」 ここで待ってていいのですネと確認したはずなのに・・・。
なかなか上手いコトバが作れない。仕方がないので一番簡単な質問にした。
「清問?2009次火車没有?」 「チン ウェン?アlrリンリンジゥ
ツー ダホゥチャーメイヨゥ?」
駅員はちらっと、ぼくのキップをみて4時半ごろに通過する列車を指差した。ハハーンとぼくは全貌が分った。2時20分に鄭州の駅を始発のキップだったのだ。
だから、約2時間後にここ洛陽に着くことになるのだ。あと、3時間ここ
で待つということである。
ほどなく、携帯が鳴った。ジャオさんからの興奮した声が飛び込んできた。ぼくが「このキップ ツオ ラ。」と言うと「不錯了!ブツオラ!」間違いないデス。
ぼくが「このキップは鄭州発のキップで、ここに着くのは2時間後です分りましたからご心配なく」というと、「ソウ ソウ ソウ!」「ブダンシン!」心配いらない!と言う。最後は二人の合言葉で電話を切った。しばらくすると、また電話が鳴った。とつぜん、中国人日本語が飛び込んできた。
「あなたは今ドコニイマスカ?ワタシは洛陽旅行社の者デス。今から洛陽駅に人を寄こします。アナタノ サポートします。」と言う。
小燕の差し金に違いない。
「ブヤンジン ブヤンジン」大丈夫です。「4時27分の蘭州ゆきに乗ればいいんですよネ」
と答える。「ソデス。大ジョブデスカ?でも,折角デスカラ,お手伝いシマス。」と言う。
ジャオさんの思い違いで、なった結果なので彼をかばう気もあって大丈夫と答えたけどサポーターが来てくれたお陰でぼくは安心出来ることになった。
だんだん時間が過ぎ、とうとう4時を過ぎてしまったのに未だ電光掲示板に開車のサインが表示されないのだ。2009次の案内表示は、とうとう、二人が改札を通り、ホームに走り去るまで出なかったのである。
構内放送だけで2009次が予定時間より10分はやくホームに着いたことを告げたらしい。改札が突然始まり、人々が殺到する。サポーターが僕を突然せかす。慌ててしまった僕はうかつにもキップをキップ切りの服務員に渡したまま素手で走ろうとして後から大声で呼び止められた。
サポーターが「タシーリベンレン」と叫んだ。おまけに汽車の着いたホームは予定の4番ではなく2番だった。
駆け上がって着いたホームはに着いた列車番号は16号。ということはぼくの指定車が4号車だから12列車を駆けなければならない。150メートルはあろうか?彼がぼくのキャスターつきバッグを持ってくれたので助かった。
それにしても中国の列車に乗るときはよく走る。とても心臓に悪い。追っかける心理状態だからいいはずがない。改札する時には列車はもうホームに入っていたのだから慌てない方がどうかしている。
もし、サポーターがいなかったら、どうなっていたのだろう。
ぼくの事だから、なんとか乗ってはいただろうが・・・・・。サポートしてくれた洛陽旅行社の若い男性はすがすがしい男だった。
彼は荷物をぼくの寝台の場所まで運んでくれた。お礼を言うと、彼は言った。
「こんな場面にもし外国でであったらぼくも心配で心配でたまらないでしょう。」
ぼくに対する慰めだったのか、本音だったのか?知る由もなかったけ・・・。・列車は一路、蘭州に向けて14時間の長旅の発車をしたかなりの、というより、今までで一番ひどい寝台列車である。
・・・汽車は洛陽を4:30に発ったから3時間半が過ぎようとしている。
相客とも余り会話をしない。今、8時過ぎだ、外は太陽が地平線に沈もうとしている。
いちめんの夕焼けである。このあたりは唐の時代はどんなだったのだろう?もっと昔、三国志のはしりの頃のこのあたりは・・・
・・目を閉じると戦国時代の戦いのシーンが浮かんでくる。
10:30頃が西安というからこの辺はあの有名な《華山》が近いのかもしれない。
白さん(留学生)の作った詩を思い出す。彼女の詩から、是非、今回訪れたいところである。なにもしない一日なんて久し振りだったけれど、なにかと気ぜわしい、頭の中はちっともリラックスしない一日だった。
一人旅をするなら、今の中国なら、絶対、高速バスに限る。と確信した一日でもあった
《休息休息一点々》 2
《我明白了!!》
5/20 朝:晴れ。
中国人と中国語で話していると本当に疲れてしまう。
昨夜の按摩小姐・李の質問攻めにも辟易したが、司机との会話も、おおまかな意図は分るのだけど、ガイドのような説明になると、とんと理解できない。
それでも必ず最後に「明白了マ?」(ミンバイラマ?)と念を押してくるので「対了、明白了。」 「ハイッ、よく分ったよ。」と答えることにしている。
ここであることを思い出した。(シャンチライラといいます。)日本語を勉強中の学生や留学生もぼくと話をする時、日本語で話をするので、彼らが日本語未熟児ということをつい忘れてしまって日本語圏で会話をしてしまう。
彼らも分ったような顔をしているので、ついそのつもりでいるとぼくの場合と同じ状態なのかもしれない。そういえば、授業中によく「わかりましたか?」と訊くと、
「全ぜ~ん、分りません」と返事が返ってくる。
ぼくはそれから無駄をなくするためセンテンス毎に「わかりましたか?」「聞こえましたか?」と聞くことにしたのだ。
実は昨日も面倒なことがあった。
ホテルの服務員が「あなたは明日、一時半にチェックアウトすることになっていますネ。その時にこちらで預かっています火車の切符とルームのキーと交換シマス。」と言ってきた。
ぼくとしては何時にチェックアウトしようとぼくの勝手で、開車〈出発)が2:20ということはもうすこし早めにホテルを出ようかナと思っていた。
昨夕は暇だったので、駅まで散歩してみたら司机が言うほど近くはない、大きな荷物をひきずって、この暑さを考えるとタクシーの5元は惜しくはない.と思っていると
「そんな必要ははい。駅はチカイです。アナタノトモダチ(司机のこと)はアルイテユクヨウニ。」と伝言されているというのである。
確かに昨日、ジャオ氏が何度もぼくにそのことを念を押していた。もちろん好意で、確かに今日の予定は朝から「洛陽博物館」に午前中に一人で行くつもりだったのでチェックアウトの時間が過ぎてしまって超過料金を取られたら困るので荷物だけフロントに預けてもらおうと彼に話したのだった。
「没関糸!」(メイガンシー)(心配いりません)
ホテルには1:30までおれるように言ってあるので部屋に荷物を置いてて構わない。また、駅は「ヘンジン!」とても近い!タクシーに乗るほどの距離はない。・・・・ともう親切の押し売りなのである。
そんな意思を厳しくホテルの服務員は聞いていたので、こちらの意思は無視されてしまったようなのだ。それでも、タクシーの件は「余計なお世話で、わずか100円足らずで楽出来るのだからそうしたい。ぼくは疲れている〈ウォ ヘン レイ ラ)」と言うと、 しぶしぶ了解したようだ。
でも、チェックアウトの件は早くすることは「不要」(ブヤオ)「駅で待ち過ぎる」と頑として聞かなかったのである。
・・・・・・・ぼくはすっかり疲れてしまい 《我明白了!!》「と応えざるを得なかった。
《休息休息一点々》 3
《中国人の怒り方》
名物司机ジャオ氏のことをもうひとつ紹介。
中国人の「抗議のしかた」は半端ではない。男も女もすさまじいものである。
「青海湖一日遊」(イーリーヨウ)でも、そのあとの「華山一日遊」のときにも一組のカップルの抗議も思い出に残っている。
なぜなら、それまで、バスのなかで2人してやさしく、二人だけの世界よろしく、いちゃいちゃしていたのに、何かのことでガイドといさかいが始まると、そのふたりは交互に、ものすごい剣幕でガイドに抗議のコトバを浴びせかけるのである。
青海湖では大学生カップルだった。どこやらへの入場券が学生割引がある、ないのことからだったようである。
背の高い彼と、とても子供のような可愛い彼女のップルだっただけに正直いってイメージが壊れてしまった。(これは日本人的感覚)
一人で乗るのは勿体ないぐらい
この後一日遊で利用したどの車よりも
綺麗で快適でした。
洛陽編で書いた、例の高速道路での一幕は執拗な喧嘩のような抗議としては一番長い時間だったので印象深い。
料金を払うゲートで一人の小柄な運転手がお金ならぬ、
・・・・なにやら汚い紙切れをかざして係り官に食い下がっている。
(思うに、回数券か、割引券みたいな感じ)
ときどき、クラクションを鳴らし続けるわがジャオ氏にその小男が「別なゲートへバックして変われ」という。そんなことで、ハイ分りましたと引き下がるようなジャオ氏ではない。係り官と小男のバトルはエスカレートして行く。
やがて、大きな図他袋を一杯積んだ小型トラックの右のドアが開いて、こんどは小男の奥方の登場である。
ご多分にもれず、こちらは大女である。眺めている側としては格好の役者そろいである。
ふたりして足を踏み鳴らしての抗議が続く。15分ぐらいはジャオ氏も車の中から文句を言っていたたまりかねて出て行った。
「あっちに行って話しをつければいいじゃないか?クルマガいっぱい待ってるのが見えないのか??このアホども!」
とまあこんな感じだと思う。でも、本気で怒っている事はそうなのだろうが、こんなことは中国人にとって日常茶飯事のようだ。
なんといえばよいか「反射神経」に「こらえる」とか「よく考えてから」とか出来ない民族性ナノカナと、思ってしまう。
動物が、つついたら反射的にかみつく、といったような反応にみえる。
ジャオ氏も観光所の検札でいつもこの症状が出てしまう。
小さなお寺などでは結構、運転手の入場パスで通してもらえるが白馬寺や少林寺とか龍門石窟とかの大型風景区、特に世界遺産の地域などはまず、無理なのである。
それでも、かれはねばる。
「俺はこの日本人観光客のためにガイドを仰せつかっている。俺はいつも来てて見たくはない。でも、俺がいないと彼に説明する人がいないから一緒に入れてくれ。」と、顔写真入りのパスカードを見せるが受け付けられない。
最初はやさしい声で微笑をみせながらの説明だけど、どうしても受け付けられないと分ると顔と声は一変する。口から唾を吐き散らしながら大男の運転手は怒鳴り始める。
何度か外で待ってもらって一人で(その方がかえって気楽な場合もある)のんびり歩き回ったけれど龍門石窟のような場合は中に入ってから3時間以上は見学しなければならないので待って貰うのも大変なので僕の方で入場券を買ってあげる事になる。
観光地の駐車代金(わずかばかりだけど)と同伴中の食事代はぼくの負担ではあったけど何処に行くにも専用車で、食べるところも案内してもらい、道に迷う事も無く、その点では旅にまつわるハプニングが無いのが少し物足りないかもしれないけれど、時間と経費の無駄だけはカット出来る。
《休息休息一点々》 4
中国人との会話
中国人と会話をしていて思ったことは核心と言うか、用件だけを単純に話してくれると分り易いけど、添え言葉が多いとちんぷんかんぷんに聞こえてくる。
しかし、タクシーとか、道を聞くとか、簡単なフレーズ(決まり文句)だとまあまあクリア出来るけど、慣れてくるとそういう訳にはいかないのが実態である。
それと、キーになるコトバがクセのある発音をされると「何について話されているのか」が分らないのでサッパリである。 あとで、「なーんだ。」と思うことが度々である。
特に地名は、その土地の人は独特の言いまわしをする場合が多く、わかりにくい。洛陽は《ルゥヤン》と覚えていたら、こちらにきたらみんな《ローヤン》と発音する。
タクシーの運転手が「ローヤ、多少天ドー?テェン ニザイ?」(洛陽にどれ位滞在してますか?)と質問された。そのローヤが分らず、今回の旅のことなのか、中国のことなのかと、とっさに返事ができなかった。
喫(中国語でchiチー)も巻き舌でツーと言った方が通じやすいことがわかった。
是(中国語でshiシー)も巻き舌でスーと言った方が通じやすいのだ。もっとも、僕の居た湖南の方の特徴かもしれないが、そうそう、方言といえば湖南地方最大の言語の特徴はなんと言っても「ラ行」と「ナ行」の逆転発音だろう。
「いろいろ」を「いのいの」、「いぬ」を「いる」と言う。だから、「いろいろ
な犬がいるね」 は湖南人は「イノイノナ イルが イヌナ」と言う、と長沙大学で日本語の先生をしておられた知人の竹岡健一氏が言っておられた。
ぼくも興味をもって、自分の生徒たちに試してみたら、特に張家界や常徳の方のと、安徽省の生徒たちも逆転発音でいくら直してもダメだった。
特に「これを見るね?」と言うと「ミヌ ミヌ」つまり「見る、見る」と、言っているのだけど 「見ぬ、見ぬ」と否定に聞こえる。「来る来る」が「クヌ クヌ」とくれば否定に聞こえる。
《お母さんは知らないのじゃないノ?」と聞いたら、彼らには何と聞こえるのだろうか?・・・と、ふと考えてしまった。
話はかわるけど、この頃、中国では会計(日本では、ゴアイソとか言う)の時、「マイダン!」と言う。学校では結銭(ジェジャン)と習ったので言ってみたら通じなかった。
多分、発音が悪かったのだろうが、マイダンはどこでも通じた。
トイレも「ツアソ ザイ ナール?」で覚えていたら最近は「ツア ソ」とは余り言わないらしい。何と言うかといえば「洗手間」《手洗》 「シー ショウ ジェン」と言う。
これも実際の発音ではショウははっきり言わない方が通じる。
ついでに僕が感じた通じる中国語を2,3あげて見ましょう。実際の発音(ラジオやテレビで習った。)とは違います。
不知道(ブ ジィ ダオ)は仏(ブッ)堂(ドォ)つまり、(ブッ! ドゥ)
と発音した方が自然に聞こえるそうです。
「幾らですか?」一番良く使いますが、多と銭の間ははっきりことば(シャオ)などと言わないで、言葉が出ずにつまった、そんな感じがネイティブに近い感じにる。
こんな感じに言います。「ドゥ ハ チェン?」
係りの人(ホテルでもどこでも)を呼ぶ時よく使う次のコトバはこう言います。
服務員!!(フーゥ ユエン!決してフー ムーではない。
つまるところ、三文字漢字は真ん中は、詰まって発音するのが良いのかも知れい。
以上、僕の偏見による会話編であることをお忘れなく。
《休息休息一点々》 5
《ホテルの洗面所》
2004・6・25
ホテルの洗面所は、そのホテルに案内されたらまず最初に覗く場所である。ホテルの評価を、そこの洗面ブースで決めてしまう人が多い。
四ツ星や五ツ星に泊る日本人ツアー客の場合は浴槽があるのは当たり前だから、その浴槽の形やシャワー設備の具合などで評価したりする。
ぼくの娘などは、洗面台に載っている洗面道具のバラエティさやドライヤーが付いているかどうかなどが、評価の対象であるようだ。
しかし,二ツ星や三ツ星に泊るぼくにとって浴槽などと、贅沢を言って入られない。
いきおい評価の対象はそのシャワー設備がいかようになっているかにかかる。
高級ホテルでシャワールームが浴槽と別に付いている所がある。
透明のガラスで仕切られていて、浴槽に入った後でもう一度そこで髪を洗う(シャワー室でなくても浴槽にもシャワーが付いているけど)あの高級シャワー室だけのホテルが一軒だけあった。
たいていのシャワー設備がビニールカーテンかプラスチックのドアである。
何にもないスッポンポンのタイル敷きにトイレと壁にシャワーがポツンと付いている所が結構多い。
それでも、充分なお湯量と温度があれば文句はいわない。この二つは入るときにならないと分らないので「おぅ!なかなかいい設備じゃないか。」
・・・と思っていてもしっぺ返しを食うことがある。
《紹興》のホテルはまさにその通りだった。四ッ星で、部屋は広く、外の眺めもよく洗面所もきれいだったけど、お湯を貯める段になってビックリした。
お湯がでないのである。ホテルマンを呼んで来てもらったら
「こんなものです。ここは部屋の場所が設備から遠いので、申し訳ないが我慢して欲しい。」と言う。
「じゃあ、他の部屋に変わりたい。」と言うと、「今日は満室で,どこも空いていません。」と答えた。5月2日、確かにその日はゴールデンウィークの二日目だった。こんなこともあるから安心できない。
《洛陽》のホテルの洗面室にはバスはないけどサウナ室があった。二日目に入ってみようと服務員に使い方を聞いたら、「知らない」と言う。
今まで、だれも入ったことがないそうなのだ、あきれたものだ。
トイレットペーパーはほとんどのところが節約サイズというか、ロールの大きさが日本の三分の一ぐらいである。家庭でも、そろそろ新しいのを準備しなくちゃ。と思うほどの量しかない。でも、合理的だと思う。
新しい合理サイズのトイレットペーパーが洗面台の上に置いてあるホテルは多い。
一度、用を足して、サテ、紙は何処かな?と思って,捜すけど見つからない。
なんと、便座の真後ろにあるではないですか?これにはビックリしました。
「いったい、どうやって紙をとるのか?」
片手では絶対紙を切れない事を初めて知りました。是非お試しあれ!
貴陽の三ッ星はベッドサイドのライトが無かった。本を読んだりする人はいないのだろうか?モスク系のホテルだったので回教徒は寝る前は本は読まないのかもしれない。
ただ、ここのホテルの良いところは顔を洗う洗面台のすぐ横に飲料水の出る蛇口が付いていたことだ。この設備は中国の何処にもない優れものだった。
いつも、歯を磨いた後のうがいの時水を間違って飲まないよう気を使っていたけどこの設備だと安心して、水でうがいが出来る。
今回の旅で一番感じたことは、浴槽に浸かる。という、あのゆったりした時間を中国のひとびとは、知らないままで一生を終えるのか、ということでした。
反面、誰が入った分らない、ホテルの浴槽に、不潔で、病気がうつりそうで気持ちが悪いから入りたくない。という中国人の友人の言葉も少し分るような気もしました。
《休息休息一点々》 6
長沙の食べ物情報について
2004・7・1
さて、ここらでここ長沙市の食べ物情報を書いてみよう。あくまで、僕自身の偏見と体験上の情報であることをお断りしてである。
滞在体験者からすればかなり貧弱な体験でお恥ずかしい。忘れない為に書き留めておく、と、まあそんな感じと解釈して欲しい。
来る前に持っていた予備知識のうち、辛さ(唐辛子辛さと塩辛さ)はいつも,注文の際「不辛的!」「不辛的!」と注文するし、というより、同伴に、してもらっているので、さほど感じなかった。
また長沙人が口をそろえて「美味しいよ。」という蛇 も、チンワと発音する青蛙も試食はしてみた。いずれも、美味しかった。
蛇も元の形を想像しなかったら、「味口蛇」という料理は醤油味に煮て食べたけど不味くはなかった。でも、続けていくつも口にするまでは行かなかった。特に、料理の皿の中にあるクルッと丸まった黒い蛇の皮を、美味しそうに食べる袁静さんをみていて、異国を感じた。
鄭さんなど、食べ終わると、お皿の上には脊椎と糸のよう細いあばら骨だけが残っていた。
スーパーの食品売り場にごそごそしているウグイ(亀)は結局、食べなかった。こんな形でヘビを売っているのを見た事はなかった。もひとつ、長沙人は犬が好物と聞いていたが、これも大げさな表現のようだ。
もっとも、鄭さんは「犬も、猫も美味しいよ。」とウインクをしてみせたけど。
食堂についていえば、「松花江餃子店」はお勧め店ナンバー1である 。
黄興路近くの解放路にある店(滋賀の竹岡健一さんご夫婦にお勧めメニューまで紹介して貰った店)と長沙駅から五一大路を西に向かって10分も歩くと右側にある「松花江餃子店」は共に10数回訪れた店である。
ベストメニューは焼き(ジャン)餃子(ジャォズ)に水餃子、中の具は何でも美味しい。注文するとき注意しなければならないのが注文の仕方である。
日本のように一皿とか、一人前とかは言わない。一人前を2(アー)両(リャン)と、1両が約50g(5個ぐらい)最小注文単位が2両である。
竹岡さんに勧められたうちの3~4品をいつも注文する。一人前の料金が大体、20元ぐらいになり、学生3,4人で行っても60元を余り超えない。
今にして思えば、竹岡ご夫妻は、6種類ぐらいの注文をされたところをみると、僕に試食を勧められたのだろう。多分一番高かった牛肉の薄く切った醤油味は、その後は僕のオーダーからは除かれた。正式名は醤牛肉といい、一皿、25元ぐらいだったと思う。
白菜猪肉も美味しかったけど、その後は食べていない。恐らく、その時の料金は3人で100元は超えていただろう。気の毒なことをした。
さて、何といってもここの餃子に並ぶ人気メニューは「東北三糸」(糸の字はこれではない)という春雨、細切りキュウリに卵焼きをこれまた細く刻んだもの。酢醤油で混ぜる。
「小葱拌豆腐」という絹ごしトーフの上に小ねぎを載せ、醤油をかけてたべる。醤油の中に油が入っているのがなければ日本の冷奴である。僕は溜まった油をすてて上から醤油だけを又、かけて食べる。
これにねぎのお餅も美味しかった。正式名は香甜糖餅、これは中国人はよく注文する。形は違うけど味はどこも似ている。要するに甘い餅を薄く延ばしたものである。
回数多く行った店では歩行者天国(歩行街ブシンジェ)の入口角にある
日本料理店「火の国ラーメン」は日本人には安心して行ける店と言える。5回ほど行ったけど、不思議と日本語はどこからも聞こえてこなかった。従業員小姐たちの、下手な「イラシャイマセ~」の日本語以外は。
ラーメンは一回食べて止めた。20種ぐらいあって20元と、まあまあだけど、焼き魚(サンマ、ししゃも)のほか、コロッケ、サラダ、寿司も二個10元と異常に高いが味は悪くない。
日本感覚で食べたら500円で充分なので、日本の寿司を食べたい向きにはお勧めである。みそ汁とキュウリのおしんこはサービスである。
もう、4年ほど前、ウルムチの日本料理店「平政」に馬麗春に連れて行ってもらった。
あのとき食べた寿司の味も忘れられなうほど美味しかったけど。実際は、期待感の薄さとの格差がないので,そう思うだけで、日本でだと、美味しい回転すしと違いはないのかもしれない。
と言ったら、「平政」の美人おかみや「火の国」の調理師におこられそうだが。
何時か、「かつカレー」を食べたことがあったけど、ごはんとルウの比率が、ごはん7にルウ3、その上に薄いトンカツが載っている。これも、味は悪くない、でも、なんとなく変だ。ご飯をたくさん残してしまった。
日本ではカレーを食べて、こんなにご飯を残した経験がないので奇怪である。そういえば、炒飯もいつも三分の一は残す。僕が小食なのか中国人が大食いなのか?疑問は解けない。
ここの「黄興路」近くに平和堂がある。そこの6階にあるブラジル料理店はおそらく長沙では指折りの人気店だろう。竹岡氏のお勧めレストランにも入っていたので、袁静さんご夫婦に連れて行ってもらったことは先に書いたが、あの肉の味と、ボリーユームたっぷりのサラダに惹かれ数日後、また出かけた。
日本語も少し話せる人気ブラジリアン(堺駿二に似ている)の柔らかい肉を切ってもらいながら、彼と日本語で短い会話を交わすのも楽しい。彼はここの主人なんだろうか?二度目なのに、顔なじみになってしまった。
30分程に一度ぐらい回ってくるのでいつも皿の上には彼の柔らかい肉がなくならない。他の人より多めに切ってくれるからだ。
6名ほどのコックがシュシュカバを持ってテーブルを回る。湖南料理と果物やサラダ、それにアイスクリームはセルフになっている。1人50元、土日は58元である。日本人が来たら、まず、連れて行きたいナンバーワン・レストランである。
食べ歩き、というほど食べに行ってはいない。殆どは、ヤオリン近くの庶民食堂か会社の食堂での昼ごはんで済ましている。いずれも4元から6元、ビール3元を加えても日本円にして150円ぐらいである。
味にも慣れてきたし、空心菜など、気に入りの野菜炒めも分ってきたので、済まそうと思えば、一日の生活費は300円(20元)もあれば充分過ぎる。
範先生とは、週一回は必ず行く「碧水藍天温泉」でこれまた、何でこんな料理が無料なのと思うほどの食事を食べながら、長沙の生活水準や中国事情、過去と未来の展望などをいつも語る。
分りやすく今の生活事情を言えばこうである。まず住まいで言えば、日本の3LDKの各部屋を十畳程度にデラックスにした部屋で2万円足らずが一月の家賃という。
範先生の自宅(結構、豪華であるが、僕の家程度です。と、彼は言う)範先生は毎日、朝、9時から夕方6時まで、若い女性のお手伝いさん(一昔前の日本の女中さん)を月400元で雇っておられるそうである。
掃除、洗濯、料理(昼と夜)まかせで、食事は食べさせてあげてるそうである。それでも安い。一万円(750元)も出したら、お気に入りの若い女中さんが雇えると言う。「貧しい農村人口が中国は多いですからね」と範先生は言う。
1月の食料費や交通費、以外とかかる携帯電話代などを合わせて1万5千円(1200元ほど)会わせて4万5千円あれば、まずまずの快適生活は、今の中国では出来ることになる。範先生は言う。
「上海郊外の田舎に住む外国人の引退者(年金生活の夫婦)がとても増えてきています」と。ただし、マンションやマイカーを買うとなると日本と現状は変わらないという。
むしろ、贅沢品に関しては日本より金がかかると言う。
情報、文化、娯楽、治安のいい、上海、大連、青島などの郊外に家を借りて老後を過ごす方が、アメリカやオーストラリア、スペイン、タイなど、いわゆる顔から違う国でのんびり老後を暮らすより、中国の方が溶け込みやすいと思うのは僕だけだろうか?
言葉が分らない、通じないのはどこへ行っても同じこと、その個人の問題であろう。
洛陽駅の電照看板案内硬座待合室
蘭州駅洛陽博物館
新しい洛陽の博物館「天子駕六」
ジャオさんの専用ボックスカー
一人で乗るのは勿体ないぐらい
この後一日遊で利用したどの車よりも
綺麗で快適でした。
鄭州で泊ったホテルの部屋。
高速道路出口でのバトル。左がジャオさん。右がが係り官と車の持ち主の小男。
バトルが始まる前の龍門石窟検札前。
洛陽のホテルのロビー
鄭州のホテルの外観蘭州の街
白馬寺
屋台の食材:多分、羊の頭
洛陽のホテルの朝
洛陽駅
サウナ
雷長沙市副会長に接待された今、長沙
市で一番大きな餐館での料理。
一番新しい長沙?ホテル(四星)の中に
ある高級日本料理店《京都》味最高!
中には居酒屋コーナーもある。
歩行街の角にある有名な日本料理店
《火の国ラーメン》と、僕のお気に入り
「サンマの塩焼き」10元ぐらい。
味口蛇臭豆腐松花江餃子店街の食堂はこのようにメニューは壁に
書かれている。5元から10元の間が普通。お馴染のマックとケンタッキーの定番味は
ピリカラハンバーグで美味しい。セットで
20元ほどでこちらでは高い。でも、いつも
どこもお客でいっぱい。
イタリアメンというスパゲッティ。
これも美味しい。そして高い。