黄龍

黄 龍

フ ァン ロン huang long

2004・5・12

九寨溝&黄龍DV写真集

チベット族ではありません。
小姐のカメラが見えますか?
ここは薬の説明会場。

11日:深夜のホテルのフロント。

「朝6:30に食事をしてください。出発は7:00です。」とガイドに言われていた。

ホテルの中の売店は既に閉店していたが商品は見れたので防寒具かセーターでもないかと物色して見たがデザインの悪いジャケットが2,3枚ぶら下がっているだけだった。それも250元と値札が付いている。100元でも買いたくない。

部屋の中は猛烈に寒い、これではシャワーどころではない。カバンの中身の整理と各種充電で寝るまで1時間は費やした。

デジカメ、ビデオムービー、携帯、ACレコーダーとひげそり用の充電池など充電に時間がかかる。

現在、8:00、黄龍行のバスの中である。今夜のホテル到着は10:00とのこと。車内の寒さはかなりのものだ。昨夜リハーサルしたのだが昨日の昼休みに諾日朗のショッピングセンターでみやげに三枚買ったマフラー(大判)は今日の秘密兵器になった。

首と頭を覆うと体感温度がこんなに上るものかと思うほど暖かい。

牡丹江のノッポの方の小姐がシェンム、シェンム(羨ましい!)と見る度に言う。

彼女のカメラはキャノンのイオスで15センチぐらい本体から飛び出た望遠レンズが付いてる高級品である。

(ぼくに言わすと、何でこんな重いものを・・と思うのだが、二人で写真ばかり撮り合っているところを見るとマニアなのかもしれない。

二人一緒の写真を撮りたくなるとぼくの方を見てニッコリ笑う。つまり、シャッターを押して欲しいの、と言う合図の笑顔である。

「ゲイニー 照像ジャオシャン ハオマ?」

写真撮ってあげようか?「ハーイ!ありがと。」「ナニ、どういたしまして」「謝謝!」「不用謝」

ぼくも一緒の写真も沢山撮ったのでメールアドレスでも訊きたかったけど結局、名前もアドレスも訊かずに別れてしまった。

一方、李さんの方は九寨溝の観光途中で彼のオリンパスカメラが故障してしまいフイルムが巻かれなくなってしまった。

左:李さん 右:牡丹江ギャルとチベットへ行くおっさん。

ぼくに助けを求めたので、できる限りの操作を試みたのだが結局直らなかった。それではぼくが一緒に行動して写真を撮ってあげます。日本に帰ってからメールで送りましょう、と約束して殆んど二日間の行動はこの5人は一緒だったのである。

8:00、突然、バスが止まった。皆が降り出した。とある小屋へ案内される。トイレ駐車を兼ねているらしいがもう何か分かった。

「チベットのクスリのセツメイカイ アリマス。」

後ろが五彩池です。

小燕が教えてくれた。コースに組み込まれているのだろう。やれやれである。他のグループも合わせて40名ほどの客である。一応薬屋の着る白衣を着た女性が説明を始める。もう何回目だろう。言葉が分からないのを幸いに今、原稿を書いている。

寒さ対策についてである。

真夏の7,8月(これも来た事がないので寒くないとは保証出来ない)が九寨溝観光には寒さ対策がまず一番である。

山歩きはだいたい暑くなるのでて厚手の衣服は邪魔なものとばかりタカをくくっていたのが大間違いだった。

下着はハイネックシャツにタイツ,は忘れないよう、出来ればホッカイロのひとつも用意したいものである。・・・・・・などと、メモっている所へ、皆さん、クスリ袋ヲブラさげてバスに戻ってきた。

10:00、又、バスが止まった。今度はさっきよりずっと大きなセンターである。巨大な水晶を販売しているところだったのである。

ぶらっと一周してものめずらしそうに物色している小燕や李さんたちと別れて外へ出た。

今、書いているこの文章には、実は簡単なメモを手帳にとっていた。そのメモを見ながら今、(当時より3ヶ月後)書いている。

そのメモの余白に小燕が書いたと見られる日本語が小さな文字で次のように書いてあった。

・・・・・・ケチのよしちゃんは何にも関心ずに1人でまわっていた。

(今日までぼくのメモを見てたのは知らなかった)

本当は一緒に水晶を見て回りたかったのかもしれない。

「オー!ジェガ ジェン ピャオレーン!」などと奇声をあげながら・・・・悪いことをしたと、思っている。

でも「アタシコレ ホシイナ」などと言われたら大変である。

0:40、やっとバスは3700mの黄龍入口へと近づいて来た。

周囲の建物がすっかりチベット族の建物様式に変わってきた。バスガイドが酸素吸入器の使用を薦める。50元だそうだ。大きな空気袋を肩からぶら下げて歩くのだそうだ。

頂上の一番高いところは3800mあるので酸欠になる人が多く吐き気がするそうである。

実際、途中の休憩所でぼくのはす向かいに座っていた若い男性が突然、口からドバーッ!と吐き出した時は本当にびっくりした。

ぼくは結局、勿体ないので何度か鼻に差し込んでスースーしてみたけど別にどこかが楽になったとも感じなかった。

本当に中に酸素が入っているのだろうか、O3オゾンの匂いがあまりしなかったように思えたけど。

「アタ クルシクナルマエニ ハヤメハヤメに ツカタホガイイ とガイドサン イッテタヨ 」

としきりに小燕は浮き袋の使用を薦める。

鼻にチューブの先を入れてパイプを開き思い切り深呼吸をする。言われた通りにやるのだが、どうも新鮮な酸素が入ってくるようには思えない。

「アタ コンチ(空気)トテ(通って)ナイノデショウ。ナ。」とうるさい。

まだ水量が少ないせいか見所のはずの滝は殆んど枯れていて水無し滝だった。一番奥の五彩池に登りついたのはもう5時を少し過ぎた頃だった。さすがに五彩池は声にならないほどの美しくも珍しくもある光景だった。しばらくは左右で写真をご覧下さい。  

黄龍の帰りはジャオズを利用してみた。一度乗ってみたかった例の籠である。平坦な道なので下りは歩いても楽だったけど150元奮発して乗ってみた。乗り心地は快適とはいえない。

30分かかって入口に着いた。あれは乗ってるとちょっと恥ずかしいものである。ホテルに着いたのは予定の10時をはるかに遅れて深夜の0時30分だった。

どこでどう遅くなったのか記録がないので思い出せない。

メモにはホテル着1:15分とあるから、0:30から夕食を食べて45分後にホテル着ということらしい。6時に黄龍を出発しているから6時間のあいだ ぼくらは何処をうろついていたのだろう。

途中に寄った売店の外の広場で何ともいえない笛の音が聞こえる。

民族服の男性が吹いている。前の机に何本かの笛が並んでいるところを見ると販売してるのだろう。

この手のものに僕はとても興味があって、自分があんな風に吹けるような錯覚になる。

広州の李さんが既に机の前で笛を物色している。

早速、ぼくも行って、吹いてる男に吹き方を習い買った。

50元だった。李さんも買った。

日本人だと言うと、その笛男はすかさず「北国の春」を吹き始めた。それが又この高原にこだまして何ともいえない響きだった。

「よし、この曲をぼくは日本に帰ったら練習しよう。」

50cmほどの長さの真黒な横笛は今回の九寨溝の最大のぼくへのみやげ物だった。  なのに!!

翌日、ぼくの宝物の横笛は成都の空港へ着いたとき、乗ってきたタクシーの座席に置き忘れてきてしまったのだ。

成都から長沙への1時間の飛行中、あの?族の男の吹く「北国の春」が耳から離れなかった。

このあとは5月1日の江南・ゴールデンウイークの旅の始まり杭州に逆戻りします。

「中国ぶらり旅」のスタートは鄭州からということになります。