東江漂流

2004・6・6

cheng州の付近に東江湖がある。

このバスで二日間あちこち走る。一見綺麗に見えるがかなりのオンボロバス。

そろそろ僕の中国ぶらり旅のフィナーレです。小燕子から僕の手机に連絡があった。 

「ケイジサン、コンドのシュウマツ チェンズオ東江遊 イカナイ デスカ?ドコカノ カイシヤの シァインリョコウ ト イッショ トテモ ヤスイ2日デ 500元 コウツウヒモ ホテルも ミナ フクム 」

彼女の持ってきた導遊案内によると

        第一天  天下第十八福地「蘇仙嶺」
               三絶碑、南禅寺、東江湖(船)
        第ニ天  東江漂流

何で石のパンダが居るの?

チェン州は湖南省の「南大門」と言われます。

湖南省と広東省が隣接する南嶺山脈の駒田嶺の麓にありますチェン江が城の周りを流れて行くためチェン州と名がついたそうです。

チェン州は山多く、水美しい2000年余りの歴史を誇る景色のいい古城です。

1995年に省轄市とされ、蘇仙嶺・三絶碑・万華岩・東江湖・五蓋山等の観光名所があります。

チェン州はまた中国有数の「非鉄金属の郷」でもあります。

タングステンの埋蔵量は中国一位、錫の埋蔵量は中国第三位です。

ロープウェーで山上にあるお寺めぐりをしたり、

蘇仙嶺

チェン州の東1,5キロはなれたところにあります。直径約15キロ。

秀麗な山の峰、、蒼茫な古樹のため、中国道教の「天下第十八福地」といわれています。

1976年に開発され、省級観光名所になりました。蘇仙嶺には桃花居,白鹿洞、「三絶碑」、景星観、八字銘、蘇仙観等の旧跡があります。

天下第十八福地「蘇仙嶺」
天下第十八福地「蘇仙嶺」

万華岩

長さ2110m面積27000平方mの特大な鍾乳洞で、チェン州から17kはなれています。

東江湖

東江湖(船)

東江は資興市を流れる大きな川で、70年代末この川で東江発電ダmが作られたため、150平方キロの湖が出来ました。

東江湖は洞庭湖半分の水量に相当する約81.2億立方mの水を蓄積していて、中には島が密集していて港湾も沢山あり、独特の山水風景です。

・・・・・・・以上が湖南省の発行している湖南省旅行案内のパンフレット(長沙市旅遊局の鄭さんから貰った。)からの引用です

と言うのが、今回のツアーは僕の知っている本(旅行関係)には載っておらず、肝心の華天のダオヨウである小燕も

「ワタシモ ヨク ワカラナイナ 高速バス デ 3~4ジカン カカルトイウノハ キイテマス。 ボウケン ゲキリュウ ヲ ボート デ クダル オモシロイ キイタ。 コンド ノ オリンピック ノ ボート カイジョウニ ナル ト イテタ」

何だかわからないところへ行くのも旅の終わりにふさわしいカナ?

そんな感じで行ったので、正直なところ、何処をどう回ったのか、サッパリわからないのです。

こうして旅行記を書きながら資料を見ているけど残念なことに、この地だけは地区マップもない。

一日目は鍾乳洞に潜ったり、ロープウェーで山上にあるお寺めぐりをしたり、ケイジがこの一月の間、あちこちで体験してきた中国のパターンをまた繰り返す。

小さな島か、多分、地続きの岬のようなところにあるロッジ風といえばロマンチックだけど、居住環境はとてもよくない、つまり、風呂、シャワー、洗面、トイレなどはかなり、不満足な宿泊設備なのである。

外からの感じはなかなか良い。

明日は激流下りだとガイドからの説明である。

案内に書いてあるらしいが「東江漂流」というのが、このツアーの表題とのことで、今日はまあ、プロローグなんだそうだ。

売店で皆、ゴム草履tか、防水用の手袋や帽子などを買う。

ボクはイメージが湧いてこないので、とりあえず一番皆が買っている草履だけ10元ほどで買い求めた。

結局、最終的にはこのような、いでたちになったのだが、前にも書いたかもしれないが、ボクは手足が濡れるのが本能的というか、先天的とうか?とても嫌いなのである。

従って、濡れるなら初めから裸とかならまだしも、首や身体がびちょびちょ濡れるのは耐えられないのだ。

今度に限って着替えを一枚しか持ってきていなかった。下着も。漂流が終わったら絶対着替えなければならないようである。後悔したけど後の祭り。

ボクは破けそうなわざと薄くしてあるようなレインコートを2枚、、一枚は普通の前開きに、もう一枚、今度は後ろ前に着た。こうすると、ビニール袋を被ったようになるからだ。我ながら、この発想に感心していると小燕が「ソレ イイ カンガエ ネ、ワタシモ マネショウカナ。」と言う。

かなりの数の観光客でボートの乗り場はごった返していた。

初めからここに来ている観光客とボクとの間には遊ぶ目的にすごい差があったのである。

というのは、彼、彼女等は川下りをしながら相手、それが同僚、知人だろうが他人だろうがお構いなしに、水掛けバトルを展開するのがこの川下り遊びの最大の関心事なのである。

方やボクは激流を下り、水しぶきを如何にかいくぐるか、という、まあ、京都・保津川下りのような周囲の景色を楽しみながら、船頭さんの唄でもたのしむ上品な光景を描いていたのだから

皆は争って武器、長い水鉄砲を、人によってはニ連銃のように紐で結わいていたり、接近戦の時かけるひしゃくを買いもとめていた。

中にはこの乗り場で待ってるうちから友人同士なのだろう、バケツの水を吸い上げて掛け合っていた。

まあ、ボートがスタートしてからの話だが、20分もすると、かくいうボクも参戦してしまっていたのだから、皆が夢中になるのもうなずけた。

ボクは一番前位地になってしまい、ボートが激流に飛び込む度に頭から滝を被るような状態なのである。

完璧なはずの首周りからも水は容赦なく入り、いちばん参ったのは両足首をしっかり結んでいた為に、めくれてしまった胴の付近から、ズボンの方のカッパの中に進入した水が足首から上で溜まってしまったことだ。

やがて、パンツが水浸し状態になってしまったのである。その気持ち悪さといったらなかった。そのうち何だか気持ちも高揚してきた。

気がついたら傍にあった水鉄砲や柄杓の武器でボクは戦いの先頭にたっていた。

先頭は敵の目印になるのでボクは近づく敵艦の標的状態が続くのだ。はまってしまうと、このバトルは最高に面白かった。

何人かの戦士が激流に落ちた。その度に、先頭にいるモーターボートが救助に駆けつける。

救命具は皆つけているが若い小姐がふたり落ちた時は,さすがにちょっと心配した。

人が落ちたボートへの攻撃は皆、差し控えていた。

途中、1時間ぐらいで休憩のため岩場にのぼり、飲み物や焼き鳥などを買って食べた。とにかく、衣服がびしょぬれなのが気持ち悪くて参った。

濡れ嫌い人間のボクには合わない遊びだったけど、良い体験だったということにしよう。

最後の書込み『株洲』へ。

株洲へ跳びます。「ぶらり旅」の終わりです。