kumatatsu
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コメント:ぼくのつれづれに書き綴ったエッセイを読んでください。
○私の鹿児島歴史探索12014・10『卒55周年記念誌』より
大観峰1
● 私の好きな山の風景(1)大観峰
その日は天気にも恵まれていた。阿蘇・九重をドライブするうち、やまなみハイウエイーから菊池渓谷へ行こうと思い内牧温泉から212号線を登っていると数台の車が道端に停車している。徐行しながら見ると駐車場もあり、ひとが三々五々歩いたり座り込んだりして遥かかなたの山容を眺めている。
私たちも駐車場に入り車をおいてゆっくり歩いて山際に座り込んだ。そして視界全体に飛びこんできたその大パノラマに思わず息をのんだ。それが名前も知らなかった「大観峰」との初めての出会いであった。
その素晴らしさは語彙の持ち合わせの少ない私には表現のしようもないが、その日はただただ感動するばかりで詳しいことは覚えていない。家に帰っていろいろ調べてみると、阿蘇には“七鼻”とよばれる突き出た場所があり、大観峰もその一つとのこと。
それからはあの景色がしばらくは頭を離れなかった。また行ってみたい。何回でも行きたい。そんな思いのなかでそのあと何回行ったか覚えていないが、
孫たちとの家族旅行、北九州時代の合唱団仲間とのペンッションでの合宿、同じ仲間3組での夫婦旅行、現役時代の社内旅行で日田・別府の帰り道に寄った時は途中まで大雨だったものが大観峰に着いたときにはきれいに晴れ上がってくれた。数えきれないがこうしてみると10回くらいは行ってるかな~。
熊本から阿蘇、九重、別府へ車で走ることがあったら、高速道路を熊本で降りたあと国道57号線を阿蘇方面に向かって次のように進んでください。
菊陽町を通過し大津町の“道の駅・大津”を左に見ながら進むとすぐ“ミルクロード入口”の標識があります。そこを左に入ってあとは道なりにどんどん進んでください。途中“菊池阿蘇スカイライン”と合流しますが標識に従って右方向に進んでください。
そのあとも道路標識の通りです。駐車スペースは広く売店などもあります。展望できる場所は駐車場近辺でも十分ですが、徒歩で約10分のところに展望所があります。
阿蘇谷を挟んで正面に阿蘇五岳が鎮座し左から根子岳、高岳、中岳、杵島岳、
烏帽子岳と続いていますが、この山容がお釈迦様が寝ているようにみえることから「涅槃像」とも呼ばれているようです。ここからは内牧温泉や“やまなみハイウエイー”の瀬の本高原方面などへ行くことが出来ます。
行ったことのない方は是非1回足を運んでください。私がお勧めする日本一の山の風景です。百聞は一見に如かず。
大観峰2
● 私の好きな山の風景(2)大観峰
その雄大で大好きな大観峰にこの夏も行ってきた。
8月9日と10日、1泊2日の短い旅だったが、総勢8人、車2台で阿蘇の景色、食べ物などなど大満足のドライブ小旅行だった。
9日は7時鹿児島出発、8時半宮原サービスエリアにて、200円のカレーパンとコーヒーにて朝食、ただし婿殿や孫たちはここを通るときの定番メニューの“熊本ラーメン”を朝から食す別メニュー。立野駅にて北九州の家内の妹夫婦と合流、
孫2人と家内、妹の4人はトロッコ列車へ、他は車で終着の高森駅に先回り、立野駅で買ったニコニコ饅頭と@400円のトロッコ弁当で安上がり、旅にお金をかけなくても楽しめる術を知ることは大事なこと。これも旅行術の一つと心得るべし。午後はウォーターパールで有名なトンネルの高森湧水公園を見学、その涼しさにしばし浮世の暑さを忘れたほど。
そのあと早目にその日の宿、乙姫ペンション村の“アルムの森”へ、阿蘇越えの途中の牧場など素晴らしい眺めです。写真もパチリ、パチリ・・・・・。
夕食は洋食のフルコース、質・量ともに文句なし、翌朝の朝食もグッドでした。
朝は孫たちに起され虫捕りと散歩、これも楽しいひと時です。
そしていよいよ大観峰へ。この日の大観峰はひときわ輝いて我々一行を迎えてくれた。10分くらい歩いて展望台まで登るとそこからは360度の展望がひらけ、阿蘇五岳は勿論のこと、遠くに九重連山、祖母・傾まで一望できた。
はじめてここに来た妹たちが私が予想した以上に喜んでくれて、仕事でこれなかった息子に携帯電話で景色をメールしていた。後日写真マニアの義弟が送ってくれた写真が又素晴らしかった。この夏も大満足の夏となった。
最後の出張
隈元達雄
平成21年4月28日いよいよ会社生活最後の出張の日である。
朝7時18分発の新幹線に乗るため、息子に鹿児島中央駅まで送ってもらう。今日は途中2回乗り継いで広島まで行かねばならない。
本来の臨店による監査の仕事は、4月21日~24日の福岡で終了していたが、来期の打合せと、夜私と後任者の歓送迎会をしてくれるとのことである。本社から監査室長も来てくれてあとは西地区の監査担当を入れて5人だけの会議である。
博多から新幹線のぞみ20号に乗り換え広島着11時5分、山陽本線で引き返すかたちで新井口に降りる。ここには今日行く西中国支社のある西区商工センターがある。一つの大きな街を形作っている場所だ。ちょうど昼時になり、センターの食堂街で昼食を済ませて支社に入った。
会議も終わり昨年も行った「すし政」に案内してもらう。ここでは、私の送別会でもあるので、私も飲めないビールで乾杯、もちろんジョッキ半分も飲めない。それでも、大食いの私は瀬戸内の魚に大満足である。
会社での思い出や、仕事のこと、これからのことなど話に花が咲いたことは言うまでもない。その夜は広島駅近くのホテルに泊まり、翌朝7時58分発のひかり543号に乗り帰途についた。
帰りの席は瀬戸内側でしかも昔4年間住んだ徳山駅も停車駅になっている。
出来たら途中下車してみたいと思いながらも自分一人ではつまらなく思え次の機会にゆずることにする。
山口県に入り、いよいよ徳山が近づき昔車で走りまわった周南の工業地帯が見えてくる。
文字通り目を皿のようにして、まばたきも忘れそれらに見入った。言うまでもなくこの周辺は日本を代表する工業地帯の一つであり、製鉄、セメント、石油、またそれらに関する工業の集積地である。
私が勤務した徳山の店の守備範囲は北の方から柳井、光、下松、徳山、新南陽、防府、宇部を中心とする地域であったが、いま考えると新日鐵光製鉄所、日立製作所笠戸工場、東洋鋼鈑、徳山石油(現在はトクヤマに社名変更)、出光、日新製鋼、東洋工業などなど日本を代表する一部上場会社を相手によく商売が出来たものだと思う。
怖い物知らずの若さがそうさせたのだろうか。
こうして会社生活を振り返ってみると、振りだしの北九州で数カ所残っていた筑豊の炭坑、製鉄、長崎で造船、電機、鹿児島に帰ってきて半導体、宇宙センターなど、ほとんどの業種のお客さんを相手に出来たことは、幸いなことであったと思う。
しかも普通ではなかなか入れない工場の現場奥深くに作業着や無塵服に着替えて入れてもらえる商売でもあったので、さまざまな経験をすることができた。
徳山駅を新幹線は離れ海側につづく工場を見るうちにスピードをあげて新南陽をすぎ、夢のような時間はあっというまに終わった。トンネルに入って現実に引き戻された。博多駅でリレーつばめに乗り換え八代から新幹線で鹿児島中央駅に12時2分に帰り着いた。
そして5月20日いよいよ退職の日を迎えた。最後の4年間は監査の仕事がら一人でやっていたこのおじさんも南九州支社と鹿児島の合同の朝礼に呼ばれ、挨拶をして過分な言葉もいただいた。
そして女子事務員さんから花束などいただきいささか身の置き場に困るくらいであった。そのあと2階の自分の部屋に上がり退職の挨拶の電話を数本かけたあと最後の片づけをした。この部屋は今後使う予定はないとのことで掃除のあと、机と椅子くらいしか残らなかった。
家に帰ってみると、東京本社から監査室一同の名前で大きな白の胡蝶蘭が届いていた。うれしさとともに、ああこれで会社生活が全て終わったと思うと寂しさもこみ上げてきた。
土の恵み
隈元 達雄 2009・1・20
鹿児島市犬迫町の都市農業センターの一画にある貸農園を借りて最終年の3年目に入った。
5~6年前になろうか、秋の農業祭を見に行き散歩するなかで
この貸農園を知り4月入園の抽選でやっと当ったのが2年前のことである。
私にとっての農業経験は母の郷里の上東郷村(現在の薩摩川内市の一画)に疎開していた小学校3年生までの拙いもので、麦踏、麦刈り、からいもの収穫くらいしかない。
いっぽう妻は北九州育ち、ただ草花が大好きで家の周囲を季節の花々でいっぱいにする特技の持ち主である。そんなことで農園も当然妻主導、私は刺身のツマである。
ただ自宅から車で15分近くかかるので、免許証のない妻一人ではいかんともしがたく、私の出番となる。現場では植栽、剪定、肥料やりなど主要な仕事は妻、私はもっぱら、畝起し、草取り、水やりなどを引受け結婚40数年目の阿吽の呼吸で楽しくこなす。10坪足らずの畑でも雑事ですぐ2時間くらいはたってしまう。農作業のミニ体験に励んでいる。
1年目入園式のあと畑を前にして、まわりの皆さんに見習いながら堆肥3俵を施すことから始まった。それから1週間後、夏野菜の植え付けである。茄子、きゅうり、とまと、いわゆる“にがごい”(レイシともいう)、ピーマンなどなど10種類以上も植えたろうか。
途中の手入れも大変である。1週間行かないと堆肥も効いているせいか、草の芽が出てすぐ大きくなる。農園の指導の先生やまわりの農業の先達からの助言等聞きながらの暗中模索の農作業である。
この野菜にはこんな肥料をこれくらいの頻度で、またこれには沢山の水を与えないといけない等はじめて知ることばかりである。
それでもありがたいことに初心者の私たちの畑にも確実に恵みのときは訪れた。きゅうりが収穫第1号だったと記憶しているが、そのあと、なす、とまと、にがごいなど1週間に最低2回は行かないと野菜によっては大きくなりすぎてしまうのである。
おかげで7月、8月は収穫のラッシュで食卓はいつもにもまして野菜料理でにぎわった。叔母たちや近所の人にも随分喜んでもらえたと思う。
そのほか季節を見ながら、からいも、じゃがいも、たまねぎ、大根、らっきょう、だっきしょ(落花生)など植えて自分たちでもびっくりするようなできばえのものもある。
2年目は猛暑と手入れ不足で収穫は少なかったが、植物は正直だ。今年は今のところ順調。手入れに余念がない。土の恵みに感謝しつつ残された3月までを楽しみたい。
🔵くまたつの『奈良大和路の旅 1日目』 2014・11月 八期55記念ツアーの想い出紀行
🔵くまたつの『奈良大和路の旅2日目・3日目』2014・11月八期55記念ツアーの想い出紀行
🔵1回の旅で何度も楽しむ方法は・・・・・2015.3(クマタツブログより)
出雲大社と足立美術館
いよいよ終わりの近づいた会社生活のなかで2月24日から26日まで北九州は小倉での仕事である。
そこで小倉が里である家内も車に乗せて23日の夕方、高速道路に乗り一路小倉をめざした。
65歳から親会社に復帰し監査の仕事を始めてから4回目だが、いずれも家内同行で家内の妹の家にお世話になってきた。
今回もその例に洩れず、またお世話になった。24日は仕事の後、40年以上前一緒に歌っていた北九州混声合唱団の友人達との食事会を行い旧交を暖めた。これもこの数年来の行事となっている。
そして仕事も終わった27日妹夫婦も誘って予約済みの“びっくり皆生温泉と出雲大社参拝”の一泊二日のバスツアーに出発した。
福岡始発のバスに小倉駅から乗り込んだのは、我々2組の夫婦と女性3人組の7人、そして満席となったバスは関門橋を渡りいよいよ中国路へ。
三次インターで降りて「三次ワイナリー」で焼き肉の昼食。
そのあと国道54号線を出雲大社に向かう。民家の作りも屋根瓦も九州とは違う中、雪も残る風景を楽しんだ。途中「道の駅 掛合いの里」でトイレ休憩。
そこには今話題の民主党 小沢代表とも関係の深かった竹下元首相の銅像もある。案内によるとこの掛合町が出身地とのこと。
旅では思わぬところで思わぬものに出会うものである。興味だけでつい一枚写真を撮ってしまう。
午後4時過ぎやっと出雲大社に着く。いまさら縁結びの神様もないものだが、一回は行って見たかった所である。今回のコースを選んだのもその為といっても過言ではない。
ツアーバスの駐車場と時間の関係で参道をゆっくり歩くことは出来なかったが、日本一の注連縄を見たり、銅製の鳥居を見たり充分楽しむことが出来た。
ただ本殿は平成20年から6年がかりの「平成の大遷宮」に入っているため、仮本殿でのお詣りとなった。境内の土産物店に入ると今放送中のNHKの朝ドラ“だんだん”に因むお菓子類も多い。
その夜は、皆生温泉に宿泊、冷えた体に温泉は心地よかった。お膳に並んだカニ料理に舌鼓をうち翌朝ホテルの窓から雪の大山を眺め境港の魚市場へ。
ここもカニや烏賊など海産物が並ぶ。皆さん競うようにお土産を買っていた。またこの町は出身の漫画家 水木しげるのおばけのキャラクターで有名なところである。市場の前にも「げげのきたろう」の大きな像があった。
そのあと今回2番目に楽しみにしていた 足立美術館へ。横山大観の収蔵が多い美術館として有名と聞いていたが、先ずびっくりしたのはここの庭園である。
2003年から08年まで6年連続庭園コンクールで第一位を穫ったとのことで、借景をも取り入れたそのスケールといい自然と人工の調和美など正に日本一にふさわしいものであった。
大観を中心とする日本画中心の美術品も素晴らしく、素人の私の好奇心を充分に満たしてくれた。ただバスツアーの悲しさ、ここでの時間は90分しかなく、庭園も含めた見学には時間が足りない。
最後の北大路魯山人の焼き物のコーナーは駆け足でまわってやっとバスの集合時間に間にあった。ゆっくり半日くらいはとどまりたい場所であった。
帰りは宍道湖湖畔の勾玉ミュージアムにて、そば御膳の昼食。
思い出と名残を残しながら再び九州に帰ってきた。
出雲大社、足立美術館など今度は自分の車をまわして、ゆっくり行ってみたいものだ。
自分で行くと最低でも2泊3日はかかるコースである。
非日常に身を置く“旅”はどんなものでも楽しいものだ。
この3月14日は、龍馬ハネムーンウオークイン霧島に参加し今年は高千穂登山に挑戦しようと思っている。
くまたつアルバム帳は作品の添付画像を掲載しています。
🔵7年目の「同期の桜」―クマタツブログより・・・・2015.4